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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

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恋愛相談お断りの当鑑定では、結婚を前提にした相性判断や良縁判断、既婚者の浮気相談や離婚相談には応じています。前回の余話#R80では浮気や離婚と無縁ではない星の一例に触れましたが、この種のごたごたを起こしやすい命式というのは他にもいろいろあります。しかし毎度繰り返しますが、こういう命式だから必ず浮気するとか離婚するとかいう決まりはありません。あくまで因子として持っているというだけの話であり、実際に浮気や離婚に結実するには、その人の実生活での生き方や価値観による日々の積み重ねが、持って生まれた因子を起動させるだけの重みを得なければなりません。逆に、命式に因子のない人であっても、同様に日々の行いや、後天運の作用によって、思いもよらぬ事態に至ることもあるのです。
「では算命学の宿命判断などは結局どっちにでも転ぶ、当てにならないものではないか」と言われそうですが、私はその通りだと思います。だからくどいようですが、算命学による運勢判断や助言は、日々経験値を上げて暮らす立派な大人には無用なものなのです。算命学の助言が必要なのは、経験値の低い未熟な人か、事故や病気などで一時的に弱くなっている人だけで良いのです。そういう人が現状を俯瞰し、山中の遭難状態から脱して安全な登山道に戻るための道筋を教えるのが算命学の役目であり、そういう算命学の使い方が正しいのです。算命学の助言を丸ごと鵜呑みにするだけで自らの経験値を上げる意欲の無い人には、算命学が示す俯瞰図も道案内も効果がないでしょう。

ところでウラジーミル・メグレ氏が書き記す「アナスタシア」によれば、この世に浮気というものは存在しないそうです。なぜなら彼女の考えでは、夫婦は完璧な運命のパートナーであり、二人の共同作業として子供をもうける使命を自覚しているため、他の異性に目移りすることなどあり得ないからです。他の異性に目移りする、つまり浮気するということは、「その男女がそもそも夫婦でない」ということなので、夫婦でない男女がよその異性にちょっかいを出しても浮気と呼ぶには当たらないというわけです。痛快ですねえ。
如何ですか、パートナーの浮気に悩む世の皆さん。あなた方はそもそも夫婦でないそうです。その婚姻は間違っていて、間違った婚姻にしがみつくから苦しむことになるのだと。どうしてしがみつくのでしょう。間違った婚姻関係を継続するメリットは、配偶者の経済力であったり、子供の養育費であったり、世間や親への体裁や面子であったりします。しかしこれらはいずれも本来の意味での愛や子供の誕生とは関係がなく、従って本来の婚姻とも関係がない。どう転んでも、二人は夫婦でなかったという結論に至らざるを得ないというわけです。ユニークですね。

算命学は数千年前に確立した古代思想であり、現代のように婚姻届一枚で結婚が成立するという考えのない時代に成立していますから、今日的な法的婚姻やそれによる制約、ひいては一夫一婦制についてもさほど賛成しない立場です。全否定もしませんが、名より実を取る方向で人間関係を斬っていくので、今の時代にしか通用しないような常識や価値基準とは離れたものとして運用していくことが肝要です。そういう意味で、上述のようなアナスタシアの夫婦の定義もまた、算命学は否定するものではありません。

さて今回の余話のテーマは、せっかくなので夫婦についてです。今年亡くなった著名人で、老齢の妻の亡きあと三か月余りで後を追うように亡くなった夫がいます。算命学者はこうした死に方にピンと来るので宿命を調べたところ、案の定珍しい命式の夫婦であることが判りました。こういう命式の組合せの夫婦は滅多にいないとは思いますが、実在すればこういう死に方になるのも頷けます。というわけで、なぜこの夫は妻の後を追うように人生を終えたのか、その因子が宿命のどこにあるのかを見てみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「妻の後を追うケース」です。「算命学余話 #R81」で検索の上、登録&山菜汁一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-11-29 18:05 | 算命学の仕組 | Comments(0)
京都に樂美術館という樂焼専門の美術館がある。そこの館長は代々一子相伝の樂焼の技を受け継ぐ著名な陶芸家なのだが、その人の話によれば、館内には代々受け継がれてきた焼き窯があるという。しかしその焼き窯はあまりに小さく茶碗一個しか焼けないサイズなので、一度にひとつしか作れない。その窯の中で高温の炎が土を焼き、高温の原初宇宙の中から星々が生まれたように、たった一つの焼き物が生まれる。陶芸家は土をひねって茶碗の成形まではするが、ひとたびその窯の中に入れたならあとはもう自然の力に委ねるだけで、どういう完成品になるかは人知の及ばぬところだ。だから陶芸家ができる精一杯のことは、その土をひねる過程で魂を込めることだけである。そのような態度で日々作品に向き合っているそうである。
こういう陶芸作品にお茶を立てて飲んだら、きっと宇宙の生命と魂の味がするのであろう。そしてこういう心掛けを茶碗なり茶道具なり茶会を媒介として後世に伝えてきたから、茶の湯は今日まで何百年も生き延び、愛されてきたのだろう。館内には千利休の時代から名品として受け継がれてきた一点ものの茶碗たちが、たとえ割れようとも継ぎの技術でリメイクされて展示され、その一部は実際にお茶を立てて茶会で振舞われているそうである。どんな味がするのだろう。ちょっと行ってみたい大人の京都なのだった。

現代社会の悪習のひとつは、使い捨てだと思う。衛生品は仕方ないとして、皿や湯飲み、衣類などが安い人件費の国で大量生産され、安価なものだから買う方も長く大事に使わない。そもそも作っている方だって賃金のためにノルマをこなしているだけで、とても魂など込めている余裕はないし、検品に通りさえすればいいという頭で作っているにすぎない。作り手と買い手は似たもの同士でお似合いだ。そんなお似合いの需要と供給がひしめく現代社会においては、人間そのものも使い捨て前提となり、人間関係が希薄になったとか長続きしないとか文句を言っても、アンタだって周囲の人間を短い付合いと割り切ってぞんざいに扱って来たのだからお互い様じゃないのか、と反論されたらぐうの音も出ない。
かく言う宇宙人も偉そうなことは言えぬ。なのでせめてこの使い捨てな日常を枝葉からでも改善すべく、日用品は長く使えるものを選ぶようにしている。たとえ安価でも容易に捨てたくならぬよう気に入ったデザインのを買うとかね。すると必然的に日本製が増えてくる。高いと言っても海外製の2~3倍だから、耐久年数を考えれば逆にお得だ。リサイクル服屋に行くと膨大な中国製の中にたまーに日本製が隠れていて、でも生地も縫製も中国製とは比べ物にならない品質だから、こんな値段でもったいないとばかりついあれこれ買ってしまう。
品質がいいということは、作り手に心の余裕や豊かさがあるということだ。丁寧にかがられた縫い目から、作り手の魂がいくばくかは込められたことが感じられる。こうした感興は中国製品には湧かない。それどころか、金儲けしか頭にない人間の作った物をこれ以上触りたくないという気分にすらなる。

先週明治大学で日本アームネスティ主催の人権シンポジウムがあり、テーマは新疆ウイグル自治区における中国当局による民族浄化であった。当地の人権侵害は決して新しい話ではなく、隣のチベット自治区では抗議の焼身自殺が毎年のように報じられるなど、漢族優先の政策が長年に亘って少数民族の人権をないがしろにしてきたことは知られている。しかし今回の報告によれば、ウイグルでの人権侵害がこの2年で民族浄化にまで飛躍したのには、明確な原因があるという。それは人事異動であった。
ダライラマの亡命から半世紀を経てもなお、チベット自治区における悪名高い弾圧政策は大勢のチベット市民を投獄・拷問・獄死で苦しめてきたが、その総指揮を執っていた当地の党書記チン・チュアンゴン(漢字は判らない)が、2年前にウイグルへ異動となった途端、ウイグルにはそれまでなかった強制収容所があちこちに建設され始めた。そして現在それらに100万単位のウイグル人が老若問わず拘束されている。民族浄化が目的なので拘束の理由は何でもよく、ほぼ無差別に、しかし大学学長や言論人など知識人や著名人を特に狙って収容所に閉じ込め、劣悪な環境と罰則と称する拷問で連日死者を出しているという。当然中国政府はこの事実を認めていないが、なぜ情報が漏れたかというと、外国籍を持つウイグル人が外交手段によってわずかながら解放されたため、内部の状況を実体験として語る者が遂に現れたからだ。その生き証人が今回来日して講演したのであった。
報道関係者も来ていたので詳細は新聞等の記事をご覧頂くとして、生き証人であるウイグル人講演者も日本側の研究者も、ナチスドイツの時代の話かと耳を疑うような時代錯誤な虐待虐殺の日常に講演中に泣き出すわ、ウイグル人講演者のみならずその通訳までが、「報道各社の皆様には彼らの顔画像も、音声も、そのまま報道することは決してしないで下さい」という禁止事項付きで紹介されるわで、命の危険を感じるシンポジウムであった。聴衆の中にはサングラスやスカーフで顔を隠したウイグル人らしき人々も来ていたし、開会の辞では、プラカードや横断幕を掲げたりシュプレヒコールを上げたりしたら退場してもらう、というお達しもあった。それほどやばいシンポだったのだ。大丈夫かよ宇宙人。

せめてもの救いは、こうした中国政府の暴虐(今どきこんな言葉を使わされるとは)を批判する人の中には漢族の弁護士などもいて、こうした漢族によって情報が国外へ放出されているという事情もあることだ。会場には日本に暮らす漢族の聴講者もおり、日本人研究者からの「このような場所にはいづらいかとお察しします」という心遣いの言葉が印象的だった。
私も中国に滞在していた経験から、漢族の全員がクズだとは言わないけど、こうした心の正しい漢族なんて千人に一人くらいで、あとの10何億人は金儲けしか頭にない、自分が非難されると「俺だけじゃない」といって言い訳を並べたり逆ギレしたりするクズだよ。それを実地で体験して実感しているので、私は極力中国製品は買わない。それしかなかったら買うけど、日本製品があるなら高くてもそっちを買う。触りたくないのだよ、魂の汚れた人の触れた製品を。
こんな胸くそ悪い政策を取り続けている中国と、本当に仲良くする必要あるのかね。奴らの味方をしたら、我々は後でひどく後悔することになるのでは。子孫から軽蔑されることになるのでは。政治家の皆さん、国益の何たるか、長期的視野に立って論じてくれ。君たちの判断で、我々に恥をかかせないでくれ。

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by hikada789 | 2018-11-25 20:29 | その他 | Comments(0)
(以下は2011年4月9日にアップした営業用看板です。性質上、随時更新し、不定期にブログの表面に移動させて告知効果を上げようと思います。宇宙人は営業中でございます。なお、夏休みや連休などは休業することがありますので、返信が滞る場合は休み明けまでお待ち下さい。)
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土星の裏側へぐるっと回って悩み相談を望まれる方に、地球人・宇宙人を問わず運勢鑑定を引き受けます。鑑定手法についてはカテゴリ「算命学の仕組み」をご覧下さい。

(1) 無料鑑定『あなたの山水画』
その人の人生の青写真を陰陽五行の風景画として描写し、大まかな生き方アドバイスをします。ご依頼の際は生年月日と性別と、当ブログの何に興味を持ったのかを一筆添えて、一番下の専用メールアドレスへお寄せ下さい。
一筆のないものや辻褄の合わないものは防犯上返信しないのでご注意下さい。(当ブログのコメントでの受付は終了しました。また山水画に対する質問は受け付けないので、質問をしたい方は恐縮ですが有料鑑定へお進み下さい。)
公開してよければ鑑定結果を当ブログに匿名で掲載しますので、お知らせ下さい。生年月日非公開をご希望の場合は、結果そのものを掲載しません。
なお、ご依頼人本人のみの鑑定に限らせて頂きます。また依頼が混んでいる時はお断りすることがありますので、ご了承下さい。

(2) 有料鑑定『土星一周』
生年月日と性別と具体的な相談内容、その人物の略歴、家族構成、現在の生活環境を可能な範囲で、一番下の専用メールアドレスへお寄せ下さい。具体的な相談内容のないメールは、防犯上返信できません。
非公開をお望みと思われますのでメールアドレスを添えてその旨お知らせ下さい。直接返信し、必要に応じて2-3往復やりとりします。真剣勝負です。興味本位の方や現状を改善する意志のない方はご遠慮下さい。(※鑑定は辛口になることが多いので、当ブログ記事をいくつかお読みになった上で免疫力をつけておくことをお勧めします。また右手のカテゴリ「宇宙人の診察室」に依頼ノウハウの記事があるのでご参考下さい。)

◆鑑定可能な相談内容(複数受け付けますが、必ず具体的な相談事項を添えて下さい。)
- 宿命鑑定:その人が持って生まれた人生の青写真を鑑定。
- 運勢鑑定:宿命とその後の環境から、今後の運勢を判断。
- 性格判断:宿命から派生した人格やその長所、欠点、改善方法を鑑定。
- 仕事関係:適職や転職、起業、事業について鑑定。
- 結婚鑑定:結婚・離婚判断、良縁判断、相性判断など(恋愛相談は不可)。
- その他:転居判断(方位は不可)、子供の養育相談、病気の傾向など、ご相談に応じます。

◆鑑定料金:8,000円(一人分。相性判断に限定した場合は二人分まで。リピーターは同じ生年月日に限り6,000円)
◆鑑定を始める前に、鑑定内容についての事前打合せをします。鑑定に踏み切るかどうかの判断材料として頂き、依頼人・鑑定者双方の了解の上で鑑定を開始します。鑑定結果の送信に何日かかるかもその際お伝えします。(他に依頼がなければ通常1-2日で回答します)
◆鑑定技術に関する質問には原則としてお答えできません。『算命学余話』に技法の一部を公開していきますので、興味のある方はそちらをご覧下さい。
◆なぜ恋愛相談は不可なのか? 恋愛は人生の大事ではありません。結婚や出産は大事ですが、恋はいくらでもして、何度でも失敗して下さい。命に別状ありません。
◆対面鑑定は現在、知人紹介のみ受け付けます。メール相談より若干料金上がります。まずはご相談下さい。また未成年の方の依頼はお断りすることがあります。
◆携帯アドレスでのご依頼は返信エラーになることが多いので、パソコンアドレスからお問合せ下さい。
◆算命学は未来を予測するものではなく、可能性の高低を多角的に判断するものです。どちらかというと統計学に近いものですので、水晶玉占いの類をお求めの方は他を当たって下さい。
◆鑑定専用メールアドレス:doseiura4◎yahoo.co.jp (◎には@を入れて下さい。手作りレザーグッズの問合せもこちらです)

【宇宙人からの苦言】
有料無料を問わず鑑定依頼を寄せられる方の中に、一方的に依頼だけしてお礼の返信もしないとか、依頼の取下げを無言で済ませるなどのマナーに欠ける方が稀におられます。武道家の宇宙人が日本的礼儀作法を美徳として重んじていることはブログ記事からも読み取って頂けるかと思います。世の中に「無料」のサービスが普及したせいかお礼も言えない人たちが増えたことは、日本文化にあっては嘆かわしいことです。宇宙人は聖人ではないので、虫の居所の悪い時にはこうした人々の暴挙をブログに挙げて曝し物にしないとも限りません。皆様の節度ある対人マナーがメール相談にも発揮されますよう、心より希求致します。
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by hikada789 | 2018-11-23 16:17 | 宇宙人の診察室(営業窓口) | Comments(42)
ウラジーミル・メグレ著『アナスタシア』シリーズが提唱する数々のユニークで感動的な人類への処方箋によれば、「神の似姿」たる人間がかくも堕落し無知蒙昧な生き物になり下がった原因のひとつは、「赤ん坊の誕生の瞬間とは出産の瞬間である」と人類が勘違いしていることにあるそうです。つまり世界の多くの占星術が出生の瞬間として重視している誕生日や生年月日は、そもそも子供の誕生した瞬間ではないので、重視するのはお門違いだというのです。
これを聞いた算命学者はどう思うでしょう。算命学は言わずと知れた、生年月日を宿命として運勢を論じる学問です。学習者の皆さんは焦ったり反発したりしましたか。私は特に驚かず、その通りだと思いました。なぜなら算命学における生年月日とは、本来その人がこの世に生まれ落ちた瞬間の自然の風景であって、それを別の言い方で「誕生の瞬間」と呼んでいるに過ぎないからです。
算命学にとっての生年月日とは陰占三柱のことであり、それはその日の陰陽五行の自然風景を表した絵図そのものです。そこに水があるとかないとか、季節はいつだとか、木と土が拮抗しているとか、そういう情報が描いてある。言い換えれば、そうした情報はその人が持って生まれた武器であり、長所であり短所です。その人がこの自然界に生まれた瞬間に、自然が持たせてくれた最良の武器。但しこの武器の使い勝手には長短があるため、その使用に練達するには、人生を実際に歩みながら実践していくしかありません。算命学の定める生年月日(宿命)とはそういうものであり、確かに「子供が生まれた瞬間」という時間を表す意味ではほとんど使われません。

アナスタシアによれば、人間の誕生には3つの段階があるとします。1番目は受胎の瞬間、2番目は妊娠期間、3番目がようやく出産の瞬間です。この中で最も大事なのは1番目の受胎の瞬間であり、ここでヘマをやらかすと生まれた子供はアホ、失礼、無知蒙昧で同じ過ちを繰り返すばかりの人間、つまり現代社会に溢れかえっている一般的な大人に育つといいます。随分ですが一大事ですね。ではそのヘマとは何なのか。
詳しいことはお手数ですが本を読んで頂くとして、かい摘んで言うと、男女が何も考えずにセックスに耽って生まれた子供はそもそも間違いだということです。正しい受胎には、まず男女共に相手との子供が欲しいと切望し、且つ生まれて来る子供がどんなに素晴らしい大人に成長するか、その夢のプランを細部に亘って練りに練ってイメージトレーニングすることが前提条件として必要だそうです。

うーん、確かにそんなプロセスを経て生まれて来る人は現代にはいないように思われますし、できちゃった婚をはじめ、「子は授かりもの」として両親の意志とは関係なく授かるものだというのが一般的な解釈です。でもそんな風に生まれた子供は利口でないので、歴史上繰り返されてきた人類の苦しみを一向に減らすことはできない、というのがアナスタシアの主張であり、こうした彼女の考えが世界中の読者を唸らせています。故に、子供をそっちのけにした安易なセックスを促す現代社会の風潮や商業主義は、悪だと。
この一番大事な受胎の瞬間こそが人の誕生の瞬間である、というのがアナスタシアの思想です。最初で間違うと全てが台無しになるからです。次に大事なのが2番目の妊娠期間で、ここもやっぱり正しい過ごし方をしなければならない。そして最後が3番目の出産の瞬間ですが、2番目と3番目はセットになっているので、出産の瞬間はほぼ惰性です。世の中はこの惰性の通過点にすぎない誕生日を重視しすぎている。それよりも受胎の瞬間の方が何百倍も大事であるというわけです。

さて、このユニークな思想を取り上げたのは、算命学がこの主張に反しないからです。見過ごされがちなことですが、算命学は受胎の瞬間の動機というものを大変重視しています。それは天報星の意味するところと通じ、この星の理解を進め、星を輝かせる手立てとなります。
今回の余話はこの受胎の重要性、ひいては人間を形作る基礎を左右する天報星について掘り下げてみます。天報星は言わずと知れた十二大従星筆頭、「胎児」の星です。胎児はまだこの世に生まれていないため、あの世の存在です。それは天庫星(死人)・天馳星(彼岸)と共に精神世界の住民であり、霊星であるということです。こうした非現実の星を運勢鑑定の実践でどう捉えて行けばいいのか。アナスタシアの思想と絡めて考えてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「天報星を基礎から考える」です。「算命学余話 #R80」で検索の上、登録&きのこ汁一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-11-20 18:05 | 算命学の仕組 | Comments(0)
日本人が英語を学習する際、名詞が単数か複数かで文法が違ってくるのをいちいち面倒だと思ったり、子供の頃は三単現のS を付け忘れて点数を引かれたりして、日本語は単数も複数も関係なく意味が通じるのだから英語のこのルールは要らないのではと疑問に思ったことはないですか。宇宙人は思っていたし、そもそも無駄を省きたい性格なのでこういう英文法には納得していなかったこともあり、英語は今も昔も好きでない。しかし面白いもので、その後宇宙人はロシア語なんぞを学び、英語より遥かに複雑で面倒で、あってもなくてもいいような文法上の決まり事にアヘンの如く中毒していくようになる。それはひとえに、ロシア語文法における音楽性の優位に魅せられたからだ。ロシア語は正しい文法で話すだけで脚韻を踏めるので進んで文法を守りたくなるし、煩雑を理由にこの文法がなくなれとは露思わない。ロシア語履修者の皆さん、お判り頂けますよね。
そんなあってもなくてもいいようなロシア語文法の一つに、数詞がある。「1」だけでもアジン、アドノー、アドナー、アドニーと四種類あり、その後に来る単語によって正しく振分け且つ格変化させねばならぬのは勿論のこと、英語は2以上が一律複数形だが、ロシア語は2から4が単数生格をとり、5以上が複数生格をとって複数形を表すという、なんだそりゃなルールがある。このどうでもよさそうな煩雑さについていけない人は授業から脱落していくのだが、脱落しなくてもこの「2、3、4」ルールがなぜ存在するのか知る者はいない。そんなことを疑問に思う余裕のある学習者はいないからだ。いや、いなかった。しかし遂に現れた!

前回記事で案内したマニア向けロシア語講座「ロシア語の数詞について」で井上幸義氏が、よくもまあ隅から隅まで調べて答え(らしきもの)を見つけてくれました。その無料配布レジメは22頁に及び、古代ロシア語から教会スラヴ語まで網羅した文法変遷の比較表まで付録にしているというオタクっぷりに、笑いが止まらぬ宇宙人。規定の二時間で収まり切らずかなりの頁を割愛していた講演内容の全容を紹介したいところだが、あまりにホニャララ度が高くて専門的に過ぎるので、ここではとりあえずロシア語を知らない人にも読むに堪えるポイントだけご報告しよう。但し当ブログはロシア語履修者も読んでいるため、その人たちの向学のために後日詳細を小出しに放出していこうと思う。

結論から言うと、人間の脳はぱっと見だと物体を4個までしか認識できず、5個を越えると瞬時に数を数えきれない。この認知能力の限界がロシア語の数詞文法に反映されているということであった。
その傍証として、漢数字やローマ数字を例に挙げる。知っての通り漢数字は「一、二、三」と3までは横棒の本数で数を表すが、実は殷代では4もまた横棒四本で表す漢字が使われていた。漢数字「四」はその後の時代に統一使用されるようになったものなのだ。ともあれ5に至るともう横棒では利かなくなって「五」という文字が使われる。またローマ数字も「Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」と縦棒の本数で数を表しているが、4もかつては縦棒四本で表しており、5になって初めて「Ⅴ」という5という数とは無関係の記号が登場する。
要するに、洋の東西を問わず、人間は4と5の間に明らかな境界を感じている。もっと端的にいえば、5以上は「多い」でひとくくりにして、いちいち数えたくない心理が働いているということなのだ。そういえば日本の算盤だって4を越えると5を表すアタマの玉に引き継がれるし、世界各地の古代の数の数え方にも、5を越えると別の印にして代用する例が多くある。十進法や十二進法以前の風習である。
余談だが、サルの脳というのは1から3までは脳の同じ部分で認識し、4以上になると別の部分で認識していることが実験によって判っている。現代では漢数字もローマ数字も4から「四、Ⅳ」という棒線ではない表記が始まっているから、人間の脳も4か5の辺りで「数えようか数えまいか」逡巡しているのだろう。

そこで再びロシア語の数詞に戻ると、人間の脳がギリギリ瞬時で判別できる数を4までとすると、1から4までは単純に数をそのまま表したアイコンであり、それ以上の5になるとシンボルとしての「五」や「Ⅴ」等で代用しないとおっつかない。そのシンボルには名前が付けられる。だからロシア語では5以上は名詞扱いになるのである。1は完全に形容詞扱いであり、「2、3、4」はその中間の中途半端な文法になっているのはそのためだ。なに、急にワケが判らなくなった? 判りますよね、ロシア語話者の皆さん。これで「ゴート/2ゴーダ/3ゴーダ/4ゴーダ/5リェート」の納得がいっただろう? いったよなあ!
いいんです、一般の読者には判っていただけなくて。コアすぎるし、全部を説明するととても書ききれない。興味のある方は宇宙人までご連絡下さい。井上教授の次の講演会をお知らせしますから、本人に直接訊いて下さい。

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by hikada789 | 2018-11-18 18:23 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
11/17(土)午前10時すぎに「山水画」依頼のメールをされた方へ連絡です。アドレス非表示につき防犯上送信できません。再度依頼される場合は送信元を明記下さい。また依頼はお一人につき一件限定、且つ未成年はお断りです。ハンドルネームの名乗りさえなく、昨今ネットに蔓延する匿名による卑怯な行いを連想させています。当方では既にいい印象を抱いておらず、公平な鑑定にならない恐れがあります。特に急ぎの用でないなら、依頼を一旦取り下げることをお勧めします。以上。
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by hikada789 | 2018-11-17 19:41 | その他 | Comments(0)
アナスタシア・シリーズ第六巻『一族の書』にこんな文言がありました。
――今日も異国に暮らす老人たちにとって「死んだら母国に葬ってほしい」と思う理由を、説明するのは難しい。そういった人たちは直感的に、彼らを地球の楽園に帰すことができるのは、彼らの母国だけなのだと感じているの。異国は魂を拒む。

ロシア人はロシア革命によって大量の亡命者を出した経験もあってか、母国への恋慕や帰還願望の強い民族のように思われます。革命以前でも日露戦争の戦死者を悼んで作られた「満洲の丘に立ちて」という有名な歌がありますが、非常に美しくも故郷への痛烈な慕情に満ちた悲劇的な歌詞と旋律が印象的です。それほどの感情を以って故郷の土地というものを体の一部のように感じている文化なのです。西洋文化と比べると「泥くさい」とか「土くさい」とか「重厚」とか言われるのは、この辺りに原因があるのかもしれません。
今月からしばらく渋谷文化村でロシア・フェアをやるので、この機会に是非足をお運び下さい。クラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」も来日します。

(1)ロマンティックロシア(国立トレチャコフ美術館展)
絵画展はBunkamura ザ・ミュージアムで11月23日(金)~1月27日(日)。これと並行して、ル・シネマでは最新のバレエ舞台をスクリーンで鑑賞する「ボリショイ・バレエ in シネマ」、シアターコクーンでは三浦春馬主演の演劇「罪と罰」、オーチャードホールではクラシック演奏会が五月雨式に催されます。またB1及び1Fにあるレストランでは、ビーフストロガノフやボルシチセット、ブリヌイセットが企画メニューとして供されます。そんなに高くないので是非お試しを。

(2)JICロシアセミナー:黒田龍之助氏講演会
ロシア語学習書の著者、黒田龍之助氏によるマニアックな講演会「もう一つの『ロシア語だけの青春』」。11月17日(土)13時半~15時、弘済会館4F会議室(四ツ谷)。聴講無料ですが要事前予約。

(3)講演会「ロシア語の数詞」
上智大学を定年退職された井上教授によるマニアックな公開講座。上智大学二号館508教室(四ツ谷)。聴講無料ですが要事前予約。11月17日(土)15時~17時なので、上述のセミナーとハシゴができます。

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by hikada789 | 2018-11-15 15:33 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
妊娠中に風疹だかはしかだかに罹った影響で障害のある子供が生まれた不幸を、国だか病院だかに訴えているという母親の口が開きっぱなしだったのが気になる。ニュースの詳細を聞いていなかったので訴えの是非はここでは論じないが、宇宙人の幼少教育の記憶によれば、口が開きっぱなしな人は頭が弱いとされていた。だから周囲の大人たちは、自分の子供でなくとも用の無い時は口を閉じるよう躾けていた。曰く「バカに見えるぞ」。今は違うのだろうか。
開いた口とバカには、見た目以上に相関関係がある。開いた口から病原菌が入るからだ。昔は花粉症も広まってなかったのでマスクも今ほど常用されておらず、口を閉じて鼻呼吸することである程度感染予防ができていた。鼻にはフィルターがついていてマスクの役目を果たす。口にも粘膜というフィルターがあるが、口呼吸によって口腔内が乾燥すると病原は素通りして体の奥まで侵入しやすくなる。そして病気を発症する。現代人とても一年中休まずマスクしているわけにはいかないから、病原を口から入れたくなければ口を閉じて過ごすのは理に適っている。それを知らずに開けっ放しにして徒らに病気を引き込むのはアタマが弱い証拠だ。理屈はこんなところである。そういう基本的な家庭教育を、今どきはしないのだろうか。この口の開いたお母さんの主張に、皆さんは賛同なり同情なりするんですか。

宇宙人は十代半ばから合気道場に通って、気を水面のように波立たせない訓練というのを繰り返し行ってきた。合気道の理念では「心が体を動かしている」ので、体を外的要因(敵の攻撃や不慮の事故)で動かされるのを防ぐには、心を平静に保ち、何事にも動じないよう常に気を鎮めておくことが肝要とされたからだ。いくら投げ技を覚えても、気の平静が相手より劣れば相手を投げることはできず、容易に技を返されてしまうし、単に逃げるだけでも遅れを生じる。
その訓練とは、さんざん走り回って息が上がっている状態で正座し、一秒でも早く呼吸を整えるべく口を閉じて精神統一するというものであった。口を閉じるのは、開いていると外気の影響(ホコリや病原を含む)で気が上がりやすく、鎮めるのに余計な時間がかかるというのが理由だ。これは結構苦しい。呼吸が荒い時は、酸素を多く取り入れるべく口呼吸したくなるものだが、それが封じられているのである。うっかり鼻づまりの日だったりすると窒息して稽古にならない。でもこれが少しでも早くできるようになると、病原を口から体内に入れることなく気を鎮め、同時に敵の攻撃に備えるための態勢をいち早く整えることができる。そうするための訓練なのだ。

お蔭で宇宙人は物事にそう簡単には動じない体質になったし、仮に驚いた時でも口を開けてわざわざ災いを招き入れるような愚行はしなくて済むようになった。今どきの人はすぐ「エー?」とかいって驚いたり驚いたフリをして口を開けるが、誰かにスマホで撮影してもらってみなよ。アホ面がよく判るから。何の為に口を開いて驚く用があるのかね。そもそもその驚きも、驚くに値しないことばかりではないのかね。誰に向けた驚きを表現したいのだ。誰トクの行為なのだ。子供たちよ、食事も会話もしていない時は口を閉じておけ。見た目も中身も賢くなるから。

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by hikada789 | 2018-11-13 17:37 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)
国際ニュースでは、南米からの移民がキャラバンを組んで米国へ向けて北上中という報道が連日続いています。当時者である米国の大統領は世界中の「良心」から嫌われているようなので、この移民集団を応援し物質的にもサポートする人々の活動なども同時に好意的に報道されています。しかし移民たちの行為の是非については誰も論じていません。
去年・一昨年辺りはこの種の集団移民がアフリカから欧州へ北上して、ゴールのドイツはともかく、通過地点にすぎない東欧諸国などは露骨に迷惑顔を見せていました。通り過ぎるだけの移民らの行儀がお世辞にも良いとは言えなかったからです。よく躾けられて、「ご迷惑おかけして申し訳ありません。静かに通ります。汚しませんから通過をお許し下さい」という態度だったら、東欧の市民らも嫌悪を示さなかったのではないでしょうか。そこに人種差別はないように思われます。あったのは他者に対する礼儀と気遣いの欠如だったのでは。
日本の「もったいない」という言葉はその精神と共に国際語「モッタイナイ」としてアフリカなどにも浸透していると聞きますが、日本の工事現場によく掲げられる「ご迷惑おかけして申し訳ありません」看板とお辞儀のイラストも世界に広めることはできないものでしょうか。これをプラカードにしてデモ行進したら、周辺住民も唾を吐いたりしない気がします。どうして現在使われているプラカードは「死ね」だの「反対」だの「〇〇しろ」だの、礼儀も気遣いもない険悪な言葉ばかり連ねているのでしょう。こんな不作法な人々の要求する姿を、デモが批判している対象者はもちろん、無関係な第三者が見て、同情を寄せてくれるとでも思っているのでしょうか。方法からして間違っている気がします。

以前、日本と海外を比較するテレビ番組で、どうして日本人はデモをあまりしないのかが議論されたことがありました。その時の日本人の反応は、歴史的に学生運動における挫折や敗北でデモの無力を知っているからであるとか、やってもいいけど効果が期待できないからやる気も起きないからだとか、社会人らのそれらしい回答にまじって、学生が「デモはイケてないから」と言い放ったのが印象的でした。
この回答は素直だと思います。要するにカッコ悪いと思うからやらない。デモ好きな国の外国人は反発していましたが、国はそれぞれ歴史が違うのだから、価値観が一致しないのは当然です。或いはこの学生は、盆踊りなんぞカッコわりぃから参加しねえ、と言い放つ類の生粋の江戸っ子だったのかもしれません。デモと盆踊り。拡声器とプラカード。街の真ん中で自己主張を叫ぶ。何やら似ている気がします。

私はかねてより意見表明している通り、移民には反対の立場です。それは日本についてだけでなく、世界のどこの移民についても同じです。その根拠は算命学にあります。
今回の余話のテーマは、日本の将来にとっても他人事ではない移民についてです。とはいっても、算命学が移民という行為・現象を100%否定しているわけではありません。場合によっては肯定しているのですが、ではどういう場合に反対だったり賛成だったりするのか、その根幹にある理屈は何なのかを考えてみます。なお、移民については過去に『算命学余話#U94』で総論を述べていますが、今回の内容はそれを掘り下げたものになります。

算命学の認める移民は小さくは転居であり、中くらいでは家系からの脱出、大きくは国からの脱出です。そしてそうした転居なり脱出なりが正当性や妥当性を帯びるには、いくつかの条件が必要です。
まずは宿命天中殺。特に生月中殺は家系から中殺を受けているため、生家に留まることは自他ともに無理を生じます。川の流れに棹を差して生きるようなもので、こんな細い棹にしがみついて生きるよりは、流れに身を任せて流れていき、流れ着いた先で新生活を始める方がよい、というのが算命学の考え方です。小さな転居や大きな移民も、基本的にはこの考え方に当てはめることができますが、ここでは中間をとって家系で話を進めます。後で大きな移民につなげます。

宿命天中殺が次男三男であったり娘であったりするなら、さほど問題にはなりません。独立するなり嫁ぐなりして家を出れば済むことだからです。しかし長男だとすれば、それは少々問題です。長男がすんなり家を出てくれて、次男が家を継ぐというのなら、まあ穏便ではありますが、長子相続であった歴史が長い場合は気の流れ方が変わるため、その転換点から何らかの支障がしばらくは生じるようになります。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「故郷を捨てる行為」です。「算命学余話 #R79」で検索の上、登録&栗ぜんざい一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-11-10 22:15 | 算命学の仕組 | Comments(0)
宇宙人の運勢鑑定は恋愛相談お断りだが、およそ物事を深く考えない類の人種が愛だの恋だのを声高に叫んでウットリしたり、偶像にすぎないアイドルを追っかけては奇声を放って理性を喪失したりしているのを、公道で下半身を露出する変質者とほぼ同格に見做している。なに、厳しすぎる? 同じ部類だよ、どちらも理性が吹き飛んでいる状態なんだから。算命学で言えば知性の喪失、つまり印や人体図頭部の阻害や障害であり、寿及び人体図腹部の肥大である。図式は簡単だ。下半身の活動がゼロになれとは言わない。生殖を担っている部位だから。でもそこは頭部(北方)に適切に制御してもらうべきなのだ。生殖器の暴走は見苦しく、何より将来(南方)への害になる。

ところで宇宙人が下半身以前に愛や恋に対して概ね懐疑的な目を向けているのには、幼少期の個人的経験によるところが大きい。そのうちの一つが、確か小5の時の教室での出来事である。
宇宙人は生まれた時から地球人に化けて暮らしているので、どうすれば地球人に見とがめられずに好意的に接してもらえるか、間違っても正体がばれて捕獲され、刑務所や病院に閉じ込められたりしないよう、処世の術は幼少時から磨いてきたつもりだ。尤も成人後は面倒臭くなってせっかくの技術を放棄して暮らしているが、子供の頃は立ち居振舞いに注意し、涼やかな優等生で通していた。勿論あくまで見た目がである。根性は今も昔も変わりはしない。しかし幸いお勉強はできたし、タコ・クラゲ型だから色白でスリムだった。だからクラスでは人気があったらしいのだが、宇宙人は自己本位に生きているので他人が自分に好意を持っていることにあまり関心がない。関心があるのは他人が自分を攻撃して来るかどうかである。その場合は全力で迎え撃たねばなるまい。小5のつたない頭はそれでいっぱいであった。
そんなある日、遠足だか林間学校だかに行くので男女に分かれてそれぞれグループを3つ作れと教師が言った。その意図するところは、普段仲のいい友達同士でざっくりくっつき、概ね同じ人数の3組に分かれろというものだった。宇宙人はいつもの顔ぶれの友人らと塊りになり、塊りはひと組の定員を満たした。これで課題は終わりのはずだった。

ところがである。普段の遊び仲間ではあるが特別親しいというわけでもないMが、その親友Yと二人であぶれていた。MとYは引き離されるのが嫌だったので、二人一緒に入るには既に形成された3つのグループのうち、人数の少ない組に入るのが妥当だ。ウチのグループは人数が多く、空きはないからここへは来れない。そう思っていたら、Mが真っ直ぐにこの宇宙人を目指して、当然のようにグループに同化しようとした。宇宙人は驚き、まず定員の観点から、次に「親しいかどうか」という点から、無言で「それは無理だよ」という顔をした。するとMの表情はみるみる歪み、自分の正当な権利が阻害されたとばかりに糾弾のひと言を宇宙人に吐いて背を向け、Yと共に他のグループへ向かったのであった。
糾弾は、自己本位に生きる宇宙人には身に覚えのないものであったが、クラスの全員が聞いた。そしてその糾弾の内容は、Mが宇宙人に対して抱いていた一方的な愛情の深さに比べ、それに全く見合わない宇宙人のMに対する冷淡さを非難するものであった。宇宙人はこれを、自分の愛情の押し付けを正当化する身勝手な人間の態度と見て、その後Mとは距離をとるようになった。そして、相手の気持ちを尊重しない一方的な愛というものを恐ろしいもの、醜いものと認識し、同時に自分の立場を危うくする脅威として愛そのものを警戒対象と認識するようになった。なぜならクラスメイトたちはこの事件により、宇宙人を何か非情な人、少なくともその見た目ほどには優しくもないし、自分に向けられた愛情に対して謝意を抱かない人だというふうに認識又は態度を変えたからだ。
いや、実はその通りなので、その認識自体に文句はないのだが、いやいやより正確に言うのなら、宇宙人にだって好みがあり、好みの相手に対しては愛情を返しているし、その人の好意を嬉しく思っている。決して非人情ではない。かといってマザーテレサのように博愛主義では断じてない。好きでもない相手に対しておべんちゃらの愛情は示せない。それが正直というものだ。
だが、宇宙人であることを隠すあまり優等生を演じてきたのが災いしたのは否めない。クラスメイトは宇宙人を何でもできる、何でも解決できる神様の一種のように思っていたらしく、これは宇宙人の誤算であった。そしてここが肝心なのだが、かように集団が誰かを崇めていた場合、その崇拝が何かのきっかけで間違いだったと自覚されると、今度は一転して崇拝対象を貶し始めるのだ。それまで崇めていた自分が間違っていたという自責を軽減するために、責任を誰かに転嫁する。誰に。元の崇拝対象にだ。こっちにしてみれば寝耳に水だ。崇拝してくれなんて頼んだ覚えはないし、そもそも崇拝されるよう振舞った覚えもない。しかしこちらは一人で、あちらは集団だ。こちらの声などかき消えてしまう。民主主義の原理である。

そんなこんなで、宇宙人は小5にして相手を考慮しない一方的な愛情及び恋情というものと、集団における崇拝とその容易な逆転現象に対し、最大限の警戒を向けて臨むようになった。どんな小5なのだ。だから同級生の「小5の頃までサンタクロースを信じていた」とかいうホニャララな話を聞いて、絶句するのもやむなしなのだ。痛かったのだよ小5の身には。
立派なトラウマだが、損をしたとは思わない。だって世の人間関係トラブルといえば、大体このテーマに集約されるではないか。要するに「勝手な思い込み」。そこに客観的視野が欠落していることで起きる現象なのである。Mの一方的な愛情も、優等生を演じていれば万事安泰だと油断していた宇宙人も、別の角度から見た自分がどう見えるかを考えていなかった。物事を正しく判断するには、主観だけではだめなのだ。視点を増やさないと。
この種の痛い教訓は、実はこれ一回ではない。その後宇宙人は子供時代に類似の教訓に何度か鞭打たれることになる。お蔭で現在のような人間に対する厳しい視点をもって世の中を眺めることができるようになったのであるが、同時に恋愛相談には応じられない体質となった。宇宙人は恋愛を否定はしないが、上述のような一方的な恋情・愛情は災いしかもたらさないと確信しているし、世に溢れる恋愛の悩みは突き詰めればこうした災事を愛だと勘違いしていることから発しているものと断定している。だから相談の余地はないのだ。相手を考慮しない愛情など、災厄であって愛ではない。災厄を愛だと言って押し付けられる側がどれだけ迷惑しているか、考えてから愛を語れ。そう、考えて、つまりやっぱり頭(印)を使えというオチになるのだ。

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by hikada789 | 2018-11-08 19:48 | 算命学の仕組 | Comments(0)