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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2018年 12月 ( 11 )   > この月の画像一覧

人気漫画『進撃の巨人』は、巨大な壁に守られて暮らす人類が、壁の外を闊歩している人食い巨人の脅威に怯えながら、その壁の外の世界に何があるのか知るべく危険を冒して出て行こうとする兵士たちの物語です。その視界を塞ぐようにそそり立つ巨大な壁に囲まれた架空世界の風景は、原作者諫山創の出身地に起因しているそうです。
彼が生まれ育ったのは大分県の山間部で、人家も疎らなのどかな田園の周囲はぐるりと山脈で囲まれていました。都会の人間から見れば羨ましいほどの自然豊かな風景が広がり、高層ビルのない空は広くて山々は見はるかせるし、騒音もないしネオンもないし、水も空気もおいしそうです。
しかしこの人の羨むような日本の原風景を、少年時代の諫山氏は苦々しい思いで見つめていました。なぜならその周囲に巡らされた山脈は、彼をこの狭い村落に閉じ込めて隔離し、山脈の外に広がる未知の世界がどういうものなのかを覗き見ることさえ許さなかったからです。彼の目にはこの美しい山々が行く手を阻む巨大な壁に見え、その外側の世界を知らないという状態が、知りたいという好奇心とどんな危険が待ち構えているか判らないという恐怖心を煽った結果、壁の外には未知の巨人が大口を開けて、数々の謎と共に待ち構えているという苛酷な世界観を生んだのでした。
同じ風景を見ていても、その立場によって、或いは経験によって、のどかな自然の風景は美しく心和ませるものにも見えるし、残酷な監獄にも見える。算命学の理論の基礎は自然思想ですから、宿命を鑑定する時も自然風景を眺める気持ちで臨みます。そして鑑定者の目には緑豊かな自然風景に見えたとしても、鑑定される当人にとっては世界から取り残された忌むべき辺境であるのかもしれない。そうしたことを鑑定者は念頭に置いて鑑定に臨まなければなりません。

算命学余話基礎編の第6回です。前回は陽占、俗にいう人体図の算出方法とマス目の意味について解説しました。では実際にマスが星々で埋まったらどのように読み解いていくのか、今回はそうした基礎技法をいくつか紹介します。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「基礎編#6 人体図を読む」です。「算命学余話 #R84玄」で検索の上、登録&年越しそば一膳分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-12-30 23:47 | 算命学の仕組 | Comments(0)
年の瀬が迫って参りました。皆さんの支援のお蔭で、宇宙人は今年も無事に年を越せそうです。合掌。冷蔵庫には頂き物の食料が宇宙人の正月を支えるのだ。この冬は初めてゆずがごろごろと届き、せっかくなのでマーマレードにしてみた。ネットで検索したらレシピが見つかったのだ。材料は砂糖と白ワインだけというから簡単だ。刻んで煮詰める時間くらいいくらでもある。
お勤めの皆さんは28日が仕事納めでしょうか。お疲れ様です。宇宙人は特に出掛ける用事もないので、年末は例年通りボクシングとRIZINのテレビ観戦で締めくくろう。那須川天心は本当にメイウェザーとやるのかね。結局ルールはどうするのかな。那須川君は11月のキックの試合で久しぶりに1ラウンドKOしたが、あれは多分相手が弱かった。強い相手だとちゃんと苦戦するのだよ。

格闘技一色ではさすがに単調なので、この年末年始も図書館で用立てた読書を進めよう。ラインナップは以下の通り。
・サルマン・ラシュディ『真夜中の子どもたち 上・下』
・杉山隆男『兵士を見よ』
・杉山隆男『デルタ』
・所功ほか『元号 年号から読み解く日本史』
・ガルシア・マルケス『百年の孤独』
・イヴァーノフ=ラズームニク(佐野努・洋子/訳)『ロシア社会思想史 インテリゲンツィアによる個人主義のための戦い 上・下』

サルマン・ラシュディはあの『悪魔の詩』で死刑宣告された事件で有名。『真夜中』は随分前に一度読み挿して、何かの事情で読了できなかったのを再チャレンジで読み始めているのだが、今読んで正解だった。なぜなら宇宙人は去年インドを旅行して、インドの事情が以前よりは判っているからだ。当地のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の微妙な共生事情とか。
『兵士を見よ』も既に読み始めている。文字でぎっしりの充実のノンフィクション。航空自衛隊の日常ドキュメンタリー。就職に悩む若者よ、これを読んで自衛官を目指してはどうだ。大卒してからでもイケるぞ。『デルタ』は最新刊なので今なら本屋ですぐ買える。対中国の国防を扱っている。
『ロシア社会思想史』の訳者は宇宙人の今は亡きロシア語の恩師で、やはりロシア研究者となった娘さんが共訳として近年出版したもの。訳文であっても独特の語り癖の記憶が甦り、魂が若返るのだ。恩師はアナーキストであった。だから宇宙人もこんななのだ。
去年の年末に掲げた同様のラインナップから興味のあるものを読んでみた、という読者の声がいくつか寄せられた。読書仲間が増えるのは嬉しいのだ。

by hikada789 | 2018-12-27 23:16 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
No.1138で紹介したロシアドラマ『エカテリーナ』の前半が終わって、オープニング映像が変わった。日本のテレビアニメはクール毎にオープニングとエンディングを替えて音楽を売り出そうとするが、ロシアのテレビドラマはまだそうした商法には至っていないらしく、単に主人公のエカテリーナ二世が皇太子妃から女帝にのし上がって、貫録ある風貌になってきたのでそれに合わせて映像を変えた模様。前のオープニングでは、先女帝エリザヴェータがこちらを睨むキメ立ちカットが忘れがたかった。女優の名はユリヤ・アウグ。毎回ドキドキハラハラの、瞠目の怪演でした。名残惜しい。
とはいえ主人公を演じるマリーナ・アレクサンドロワも負けてはいない。小娘を演じていた頃も美人だったが、ロシア帝国の頂点に立つ今となっては怖いものなしでエロい。エロすぎる。勿論そういう役柄なのだし、史実でもあるのだが、家臣と仕事の話をしている最中に愛人の部下が帰ってきて、お姫様だっこされて連れ去られながらも「またあとで」と家臣に手を振る余裕ぶり。家臣が「マジか」という顔をするところは笑い所です。皆さん、笑うように。このドラマ、ロシア本国では子供が見ていい時間に放映されていたのだろうか。ロシアは夏は白夜になって子供たちは11時頃まで外で遊んでたりするから、普通に見ているのだろうなあ。

ロシア文化に関心のある方のために、ロシア的レトリックの光る前半のシナリオを紹介しよう。先帝エリザヴェータは皇太子妃エカテリーナの産んだ子を母親からすぐに引き離して養育したが、二年ぶりに対面させるという約束をドタキャンしてエカテリーナを悲しませる。そしてエカテリーナは頼れる老臣に無理を言って対面の場に連れて来てもらい、遂に感動の対面を果たすのだが、勿論エリザヴェータは額に青筋だ。「わが命令に背きやがって、覚悟はできているんだろうな」という迫力で、しかし言葉は丁寧に老臣を詰問するエリザヴェータに、老臣曰く、「私はあなた様の内心を忖度したのです。お優しい方なので、きっと本心では母子の対面をお許しになりたいのだろうと。もし間違っていたのなら罰して下さい」。エリザヴェータはこの話を沈黙でスルーし、老臣の出しゃばりを許したのだった。実にロシア的レトリックですねえ。

もうひとつ前半から。病気で危篤となった鬼(=エリザヴェータ)のいぬまにクーデターを企てた家臣らが、結局失敗して逮捕され、若くはないが男前の容疑者がハゲ頭の政敵に訊問(=拷問)を受け、「エカテリーナも関与しているのでは」と問われるシーン。
「エカテリーナってどの?」
「皇太子妃のだよ。且つあんたの愛人の」
「……」
「彼女は誰でも受け入れるそうじゃないか」
「……誰でも受け入れると思うのなら、自分で確かめてみたらどうかね」
ハゲ頭はブチ切れる。ロシア的エグイ笑いのシーンでした。やっぱり子供たちには見せたくない気がするなあ。

by hikada789 | 2018-12-25 21:25 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
放送大学が講座『レジリエンスの諸相』を再放送してくれたので、レジリエンスつまり逆境に対する生存力・復元力・抵抗力についての考えを深めることができた。
例えばバングラデシュは世界の最貧国として定評のある国だが、近代化の遅れたかの国は実はレジリエンス優良国であるという見方。家屋はその辺に生えた草木を編んだ掘立小屋だし、街の足といえばリキシャがせいぜい。道路は貧乏人が勝手に持ち込んだ零細商品の路上販売により路幅を狭めている。こうした後進国は通常近代化が進むにつれて生活環境が改善されてゆき、掘立小屋は堅牢なコンクリ建築になり、リキシャはバイクや車に取って代わられ、道路は整備されて路上販売は行政が禁止し、代わりにモノは屋根の付いた店舗で売られるようになる。
しかしバングラにおいては、こうした近代化はレジリエンス力を下げるものである。なぜなら河川と降雨の国である当地では洪水は日常茶飯事で、洪水が起きれば道という道は川となり、家屋は水没する。このような自然環境の国では堅牢なコンクリの家よりも、草木で編んだ軽い小屋の方が再建が早くて衛生的だし、腰まで水に浸かった道路で使用不能になった自動車を尻目に、人力のリキシャなら動くことができる。貧困層が僅かな収穫物や飲料水を持ち寄って路上で勝手に商売を始めても、路上販売を禁止して賃料のかかる店舗でなければ商売してはだめだという法律もなければ、衛生と交通安全のためにこれを排除しようという社会通念もない。このように前近代的なインフラのバングラは、前近代的であるが故にその日暮らしの貧乏人であってもどうにかこうにか生きていく手立てやスキマのある、洪水という逆境に対して回復力の早いレジリエンス大国なのである。なるほど。

既に近代化を果たして久しい日本は、近年今更のように洪水や自然災害に苦しめられるようになった。堅牢な近代家屋に住み、自家用車を保持し、法整備された街は清潔で整然としているが、ひとたび土砂に襲われると復興までに何カ月も何年もかかる。借金でもすれば現状復帰は数十年先だし、行政の復興対策も必ずしも迅速とは言えない。バングラなど三日後にはもう家が新築されているのに。
まあ日本は冬がそれなりに寒いので亜熱帯のバングラと同列に扱うのは乱暴ではあるが、昭和3年という時代に建てられて今は国の重要文化財になっている「聴竹居」という木造住宅が京都にある。著名な建築家・藤井厚二が建てた実験的な軽量住宅なのだが、今日の一般的な耐震ビルのような重量や構造による耐震技術が発達する前の時代に、「軽量」という逆の発想で耐震に挑戦した記念碑的作品で、なんと今年の大阪北部地震にも耐えたそうである。ガラスや瓦が数枚落ちた程度だというから、回復に手間暇かからない。
時代は平成もじきに終わろうというのに、我々は昭和3年のレジリエンス建築思想に敵わないようだ。被災地では今年も仮設住宅で年を越す人々が、近代国家の中で現状復帰できずにいる。復興予算や増税よりも、文明の発展方向に関わる思想を転換した方が近道に思える。

by hikada789 | 2018-12-23 17:54 | その他 | Comments(0)
このところ算命学余話の内容が怖い、という感想を頂きました。死にまつわる内容が続いたのでそういう印象を持たれたのかもしれません。しかし算命学の理論は、もとより個人的な運勢判断より家系論をめぐって発達してきたため、一個人が死んで終わりという単発な話ではなく、家系という流れの中でいかに個人が翻弄され、或いは先祖から恩恵なり罪科なりを背負わされて生きるかという点に着目しています。
しかし現代人は、そんな先祖の所業などまるで気にせず、気楽に一度限りの自分の一生をそれなりに楽しんで生きています。過去の人間のやったことなど自分には関係がないとばかりに。こうした現代人の思想には、当人の犯した罪を子孫にまで償わせないとする現代の法律の原則が少なからず影響していますが、こうした思想の中では、人間は未来の子孫に対する責任を感じにくくなります。

算命学の家系思想が警告するように、我々が先祖の所業の代償を払う必要性について考えを巡らせるようになれば、いずれは自身もまた誰かの先祖になる我々は、未来の子孫が我々の所業の代価を払うたびに無用な苦痛を味わなくて済むよう、生前の行動にもっと慎重になれるのではないでしょうか。
現代の法律は西洋文化の発明品です。この外来思想が果たして人類の未来に対して責任を果たすのに効果があるものかどうか、疑う必要があります。
日本の古い言葉に「中夏無為(ちゅうかぶい)」という今日あまり聞かれない四字熟語がありますが、その意味は「為政者が刑罰を行なわずに治まる理想の世」ということです。確か老荘思想にも、「法律が増えるほど犯罪者は更に増える」という意味の一節がありました。
もはや専門家でさえ覚えきれないほど細分化された現行の法律に、更に立法府が新しい法律を際限なく成立させる不毛を解消するために、今後法律はただひとつ、「未来の子孫たちに対する責任を果たさない罪」に一本化したらいいくらいに思います。殺人も傷害も窃盗も、過失も脱税も猥褻も、環境汚染も人権侵害も、結局はどれも未来を生きる人々に何らかの負の影響をもたらす罪なのですから。

今回の余話は前回#R82の内容について少し補足し、あとは久々に鑑定技術に立ち戻って守護神の続きを解説します。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「守護神#11 丙×秋」です。「算命学余話 #R83」で検索の上、登録&シャンパン一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-12-20 18:54 | 算命学の仕組 | Comments(0)
大変珍しいことですが、ご本人の許可を頂き有料鑑定「土星一周」の鑑定実例を掲載します。ご協力ありがとうございます。なお個人が特定できないよう若干編集してありますが、内容はほぼそのままです。
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【相談内容】
☆事業を興す才気の有無と、その際の懸念事項を探る。
☆宿命から見た運勢・性格と、仕事関連の全般を鑑定する。

【鑑定結果】
(1)宿命総論:
太陽の生まれですが、エネルギーが多いので、それ相応の活動量や苦労をしなければ、宿命消化が進みません。従って、仕事や子育てに奔走する日常は、あなたにとっては吉です。怠けていると運勢は下がります。

夫に縁のない宿命です。誰と結婚しようがしまいが、あなたにとって夫は必要なく、人生の価値は別のところに見出します。仕事運については後述します。夫に対して、あなたが不満を抱いたり闘ったりする状態は、ある意味宿命通りです。これは子供についても言えるのですが、あなたは闘争心を発揮していないと不満を感じる性質です。そのため、家庭内で夫や子供があなたに負担をかける限り、あなたの闘争心は適度に発散されるのであり、それは宿命消化に適しています。

あなたは不本意に思うかもしれませんが、もし夫も子供も完璧で、あなたの家庭生活が順風満帆だとすれば、あなたは闘争心が発揮できず、精神不安を抱えるようになります。そのようなメカニズムの宿命だとご理解下さい。

すると、この先夫との離婚が成立してようやく肩の荷が下りた頃には、また別の不安材料が現れます。それは思春期に入る子供達のことです。仮に子供達が何の問題もなく順調に育った場合には、あなたの精神が疲弊していきます。エネルギーが余るからです。
そういう意味で、夫なり将来の子供なりがあなたの負担になるという状態は、宿命的に言えばむしろ歓迎すべきなのかもしれません。あなたの闘争心ややる気がなくなって、鬱を患ったりするよりはマシだというのが、こちらの見立てです。

いずれにしても、あなたの命式はこうした種類の矛盾が多く見受けられ、何もかもを同時に解決するという方策はなさそうです。それは仕事についても同じことが言えるのですが、今回は起業という具体的なテーマがあるので、そちらに話を移しましょう。

(2)起業について:
お話を伺う限りでは、あなたの起業意欲は金銭目的ではなく、新規分野等の普及・開拓なので、そういう意味ではあなたの宿命に適した事業です。ただお金儲けの才覚はないので、地道な経営や市民生活の向上といった、営利より社会的な目的である方が、空しさを感じることが少なくて良いかと思われます。

上述の話につながりますが、あなたは闘争心を発揮できないと鬱屈してくるので、何の仕事にせよ、バリバリ働くのが吉です。またそうした働く母親の姿を見せることで、子供達も「自分が負担になってはいけない」と自覚されて、家庭内での素行も良くなると考えられます。
肝心なのは、あなたが仕事を相手に奮闘していることです。なので、その仕事が自営だろうがお勤めであろうが、大した問題ではありません。

ではなぜ今あなたは起業を考えているかといえば、今まさにそういう時期にあるからです。38歳から10年間、あなたは「自分のやりたいことをやりたい」と強く思ったり、その意志を貫きたい欲求に駆られます。そして同時に、周囲の風景を「白黒はっきりさせたい」という気分にもなります。(例えば夫との関係の清算や、職場の人間関係のけじめなど)
これは時期的なものですが、まだあと9年も続くので、その気分や欲求を抑えるのは大変ですし、チャンスがあるならこの機会に転身してみるのも悪くはありません。

しかしながら、同時にこの時期は、新たな事業を始めるにはあまり相応しい時期とはいえません。いわゆる天中殺に掛かっているからです。あなたは子丑天中殺です。
具体的には、38歳から20年間という長いスパンで掛かります。この間の、特に最初の5年間と終わりの5年間は不安定要素が多いので、どうしても起業したいのなら、この両端は避けて、真ん中の10年間のうちに開始する方が良いです。
更に、今年は戌年ですから、2020~21年の二年間が子丑年に当たり、この期間は起業のような力のいる活動の開始は避けた方がいい。

すると、一番近いところは2022年の節分以降ということになります。どうしても始めたいのなら、そこまで待った方がリスクは軽減できます。
とはいえ、20年間の中殺期間の中であることに違いはないので、思い通りに物事が運ばないという事態は予測されます。あなたの闘争心をもってすれば、克服できると思われますが、ともあれ楽な道にはならないことは、予め覚悟して下さい。(2022年以前に事業を始めることもできますが、かなりの乱気流を航行する覚悟を持って臨んで下さい。何かの拍子に急上昇することでもあれば、次は急降下するので、危ないです。)

なお、38歳からの20年間の中殺期間は、思い通りにはいかなかったとしても、あなたに充実した時間を与えてくれます。そのキーマンは弟妹であったり、同僚だったりしますが、あなたは意図的に彼らの助けを望まない方が、うまくいきます。あなたが一生懸命やっていれば、彼らは見かねていろいろサポートしてくれます。逆にあなたが「あれしろ、これしろ」と要求すると、逃げていきます。

結果的には、この20年間があなたの人生を豊かにする、そうした要素が集まっています。起業するのも大変なら、このままの状態を続けるのも精神衛生上よくない。
その岐路にいま立たされているので、どちらの道を選ぶにせよ、あなたが自分自身をしっかり見つめ、手本としている人の生き方から知恵を得ていけば、終わった時に納得のいく人生になっていることでしょう。
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(この後、質疑応答を二往復して鑑定を終了しました。)

by hikada789 | 2018-12-18 18:02 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
急に寒くなりました。今朝起きぬけにガラケーを開いたら画面が結露で濡れていた。日中晴天なら暖房要らずのわが家もこう曇天続きではかように底冷えするので、例年より早く湯たんぽと電気ストーブを稼働させた。エアコンは眠くなるのでつけない。室内着には二束三文で買った古着の羽織を愛用。薄いのに実に暖かい。
肉の薄いタコ・クラゲ型宇宙人は、昔からセーターとか手袋といった毛糸の編み物で体が温まらない体質だ。低体温のせいやも知れぬが、網目の隙間から冷気が突き刺すので、従来はウールややダウンの上着を部屋で着て寒さをしのいでいた。しかしこのところ気の毒な和服がリサイクル屋で叩き売りされているので、部屋着目的でサイズも見ずに数枚買ったら、思いがけず暖かかった。生地の目が細かいからだろうか。柔らかいからコート類より肩が凝らず重宝している。勿論品質は安心の日本製だ。
最近着付けを習い始めた友人によれば、リサイクル和服は今が買い時だ。着物を新調する世代の人口が年々減っているため、このままでは将来的に需要は激減し、それに伴い供給側も事業縮小を余儀なくされるため、今後しばらく箪笥に眠った和服がリサイクルに出回った後は売れ残りが海外へ流出し、その後新しい古着は在庫が底をつくことが予想されている。だから古着でも品質の良い和服がリサイクル屋に並ぶ今がチャンスなのだ。これを逃すともう次はない。さあ日本人よ、とりあえず今買っておけ。そして自分や周囲が着ない場合は、外国人に高く売れ。それだけの価値はある品々なのだ。

ところで受験シーズンだからというわけでもないが、佐藤優が自身の高校時代を綴った自伝でこういうことを言っている。彼が卒業した男子進学校では、授業以外の活動がやたらと多かった。文化祭や体育祭、部活とその朝練や生徒会活動その他高校にはよくある課題が山積みで、そうした受験科目と関係のない活動の手を抜くことは許されなかった。それは教師らからそう言われたからではなく、生徒らがそのように自覚している、要するに校風であった。つまり「できる学生」というのは、早朝に朝練をし、ホームルームで当番をこなし、授業の合間に飯を食い、突然の教師からの手伝い要請に手際よく応じ、放課後の部活や課外活動の前や後ろの空いた時間で宿題や予習復習をし、下校時は青春に悩む友人の話を聞いてやり、家に帰れば家族と人並みの交流をし、食事や風呂の合間にテレビやラジオで世間の情報を取り入れ、寝る前に教養書を数ページは読んで就寝する。そんな過密スケジュールの隙間の僅かな時間でも参考書を開いて集中して勉学に勤しみ、且つ結果を残せる学生なのであり、こういう日々のマネージメントをこなせる人材を育成することを是とした学園カリキュラムであったというのだ。

それはつまり、受験に合格するためだけに一日を使うような、受験科目しか勉強しないでそれ以外は何もやらないというような高校生活はダメだということだ。そういう学生はなるほど東大に合格するかもしれないが、社会に出ると使い物にならない。なぜなら社会人がこなす一日の課題は多彩で、不測の事態もよく起こる。受験科目しか勉強しなかった学生はそれ以外に取柄がないため、社会に出ても自分の狭い範囲の仕事しかこなせず、「それは私の仕事ではない」と平気でのたまわって顰蹙を買う大人になってしまうし、不測の事態が起きても立ち往生するか、それに注力している間に自分の本分を疎かにしてしまう。なぜなら、あれこれの課題に正しく優先順位をつけて首尾よくこなすマネージメント能力が鍛えられていないからだ。
そういう使えない大人にならないためにも、たとえ受験に直接役に立たない活動であっても山ほど生徒らに課題を課す高校が、結果的に有能な人間を作るのだ。だから生徒らもこうした活動を軽んじて避けてはいけないし、親御さんたちも「そんな活動を子供にさせるな」とごねてはいけない。佐藤氏はこのように提言しております。

全くその通りだ。宇宙人も高校時代はやたらとイベントの多い学校に通っておったが、今思い出す事といえばその種のイベントばかりで、授業の内容など自分の興味のある科目しか覚えていないし、身に付いてもいない。しかし隙間の時間を使って進級進学に必要な学力は保持していたし、社会に出る頃にはすっかり要領の良い人間に出来上がっていた。見よ、宇宙人の土星裏生活がいま一体どうやって成り立っているのかを。謎ではないか。でもちゃんと健康に生きているのだよ。これを生活マネージメント力と言わずして何と言うのか。
興味のある方は佐藤優著『埼玉県立浦和高校 人間力を伸ばす浦高の極意』や『君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話』をお読み下さい。何の為に受験勉強しているのか見失っている中高生にもお勧めです。

by hikada789 | 2018-12-12 18:45 | 宇宙人の読書室 | Comments(4)
高齢者を狙うオレオレ詐欺の標的は、勿論金持ちの老人です。高齢者だからといって貧乏人を狙っても得るものがない。一方、同じ金持ちでもまだ若い標的だと、防犯意識も反撃意欲も高いから成功率に不安が出てくる。それなりに金持ちで、且つ詐欺に遭ってもしばらく気付かないくらいボンヤリした老人が、ターゲットとして最適なのです。まあ同じくらいボンヤリしているのなら、老人でなくとも標的になるでしょう。
算命学は陰陽五行を基盤に相生・相剋の力学で物事を判断するので、お年寄りが詐欺に遭ってかわいそうだといった感情とは無縁です。では代わりに何を考えているかというと、ご老人が詐欺に遭うのは金を余分に持っていたからだ、持っていなければ被害には遭わなかった、という物理法則のような因果関係です。若い金持ちが被害に遭わないのは、防御するだけの強さがあるからで、防御もできない老人が弱さを露呈しながら大金を抱え続けるのは「襲ってくれ」と言っているようなもの。命を獲られないだけ幸運だ。算命学はこんな風に考えています。
冷たいと思われるかもしれませんが、こういう視点を養っていない学習者は鑑定者には向きません。それに、算命学は単に冷たいのではありません。この理屈にはちゃんと真理があるのです。

知力と体力を日々衰えさせていく老人(あくまで一般論。例外はあります)に、若人と同じような防御力・反撃力を身に付けろというのはさすがに無理があります。老人が衰えるのは自然の法則に沿った現象だからです。では自衛できないのなら、元気な若人に代行してもらえばいい。ここで金を払って警備員を雇えというのは野暮な発想です。金を積まなければ人を動かせないというなら、その老人の人生は残念な人生だったと言わざるを得ません。
もうお判りですね。人は金を積まなくても動いてくれることがあります。それは信頼関係です。一番簡単なのは家族との信頼関係で、弱った爺さん婆さんを守るのはその子供の家族であればいい。一緒に暮していれば「オレだよ」の電話は通じないし、同居していなくとも関係が密であれば、詐欺師の電話が偽物だと気付けます。爺さん婆さんは防御の代金を子供たちに払うことはしませんが、お祝い事があれば贈り物をするし、困っていたら援助もする。金額は不明ですがそれなりの出費を払っているし、日常的に子育てや諸々の手助けをしている。こうした相互扶助関係にある親子に、金銭の授受や契約書は必要ありません。

仮に家族を持たない人であっても、友人知人と似たような相互扶助関係を築くことはできますから、誰かに守ってもらうためには金が不可欠だとする考えは間違いです。しかしこうした人間関係が誰とも全く築けていない老人だというのなら、それはもうその人の長年の生き方そのものが間違っていたと言わざるを得ません。
そんな老人はどうなると、算命学は考えているでしょう。もうお判りですね。淘汰されるのです。淘汰される人にお金は必要ありません。だから詐欺に遭って金を手放すことになるし、老後の資金を減らしたことが原因で寿命を縮める可能性も高まります。或いは、被害に遭うことで逆にそれまでの自分の間違いに気付いて、短い余生に何とか挽回のチャンスを見出すかもしれない。その場合、淘汰はいくばくかは先送りされるでしょうが、そんな殊勝な老人であるのなら、最初から誰かと信頼関係を築けているはずです。
だから結局どちらに転んでも、詐欺の標的にされるほど金を余分に持っていて、自分の子供や周囲の人間関係のために、或いはもっと広義の人間関係として社会貢献のために、その金を出し惜しんできた孤独な老人は、自然の正しい采配により、オレオレ詐欺のカモにされ、むしり取られて淘汰を加速するというわけです。
従ってこのような老人はかわいそうではないし、同情の余地はない。そのように算命学では考えます。詐欺被害に遭いたくないのなら、その使っていない大金を信頼できる次世代に受け渡すことです。それでとりあえず詐欺の標的にはならなくて済むし、本当に信頼関係で繋がっているのなら、その人があなたの老後を何くれと気に掛けてくれるでしょう。それでは不安ですか。

今回の余話のテーマは詐欺ではなく、淘汰についてです。それも詐欺に遭う老人の淘汰ではなく、一家の淘汰についてです。
最近、家族6人が死亡したという事件が二件続けてありました。一件は火事で家屋が全焼し、8人家族のうち6人が死亡したというもの。もう一件は一家6人が殺害された事件で、恐らく犯人は次男だとされていますが、この次男は事件直後に自殺したようなので、殺害の動機も状況も不明のままです。
付合いのあった周辺住民らは事件の突発性と意外性に驚いていましたが、算命学者はこのまとまった数の一家同時死亡にはピンと来るものがあります。死亡家族の宿命を逐一見ればまた違った見方もできるかもしれませんが、算命学の一般論として、このような一家の死に方は自然による淘汰現象の典型例です。今回はその辺りを考察します。宿命は出しませんので、鑑定技法ではなく、算命学思想の理解のための内容です。物騒な話なので、興味のある方のみご購読下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「一家の終焉を考える」です。「算命学余話 #R82」で検索の上、登録&栗ごはん一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-12-08 18:26 | 算命学の仕組 | Comments(0)
ロシア映画『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』を見てきた。言わずと知れたトルストイの長編小説が原作だが、原作の映像化ではなく後日譚という形をとっており、主人公はアンナではなく、その不倫相手の青年将校ヴロンスキーだ。原作を読むと貞節な人妻を堕落させた軽薄な男にも思えるのだが、アンナの自殺後は責任を感じて戦地へ志願するところで小説は終わっており、この映画はその後戦争で死にきれなかったヴロンスキーが最後の戦場となる満洲で日露戦争を戦い、そこで軍医となっていたアンナの息子と出会うというオリジナルの設定。息子役があまりに老け顔だったので最初ピンと来なかったが、壮年のヴロンスキーがまたいい味のある男前であった。
興味深いのは、小説では無味乾燥な高級役人でしかない夫のカレーニン氏が、映画ではなんだかとても気の毒で同情したくなる人物として好意的に描かれていたことだ。女性の心をときめかせない退屈な男にも魂の叫びはあるのであった。熱演でした。勿論回想の中のアンナも光っており、自殺に至る心理の屈曲は真に迫っていた。ロシア人はやはり狂気をよく知っている。破滅の駅に向かう馬車の中で、アンナに同行していた小間使いの娘の怯えっぷりが秀逸だった。ああいう名もないわき役の使い方でサブリミナル効果が上がるのだ。名作です。もうすぐ上映終了するので是非ご覧下さい。あ、原作は読んでおいた方が話は判りやすいです。
なお『アンナ』に続いて間もなく『マチルダ』が上映開始となります。こちらは最後の皇帝ニコライ二世の愛人のバレリーナの物語で、劇中バレエが堪能できる二度おいしいロシア映画。『アンナ』と並んで帝政末期ロシアの破滅二連発なのだ。

ところでBSフジで連日放送されていたトルコ製ドラマ『オスマン王朝外伝 愛と欲望のハレム』が尻切れトンボのような終わり方をして(というか「続編につづく」で一旦終了した)、翌日から次のドラマ『エカテリーナ』が始まった。このロシアドラマはちょっと前に有料放送で流していたはずだが、もう無料になったのだな。とりあえず第一回を見てみたが、『欲望のハレム』とは比べ物にならないほどクォリティが高い。演技力が違うのだ。なんだあのわき役女帝の迫力は。
主人公のエカテリーナ二世が女帝として即位するのは30歳くらいなので、ドラマの冒頭ではまだドイツからお輿入れしてきたばかりの小娘にすぎない。だから小娘が成長するまで物語を引っ張るのはわき役の大人たちなのだが、姑に当たる(正しくは夫の叔母)女帝エリザヴェータの、コバンザメのように家臣を従えながら宮殿の廊下を真っ直ぐこちらに突き進んでくる迫力が半端ない。オスマン帝国のスレイマン大帝、負けてます。
また、オスマン朝の後宮でも女たちが嫉妬のあまり毒を盛ったりナイフで刺したりといったしょうもない事件を起こしていたが、ロマノフ王朝でお妃の毒殺を企てるのは、母国の国益に忠実なフランス大使なのだった。陰謀の規模が国際級なのだ。しかも会話が隠喩を多く含んで直接的表現を避けるため、役者の微妙な演技や演出と突き合わせながらセリフを追わないと話が見えない。欲望のハーレムの会話は至極わかりやすかった。トルコよ、これは国力の差ではない。文化力の差である。見た目はどちらも豪華絢爛の王宮物語だが、内容にはかなりの差がある。つまり視聴者のリテラシーに差があるということだ。

見よ、宇宙人を。『ハーレム』は結局ほぼ全話見たとはいえ、60分ドラマを録画の早送りにして20分で見ていた。だって話の進みがのろくて単純なんだもん。しかし『エカテリーナ』は早送りできなかった。ちゃんと見ていないと話が見えなくなるからだ。
何よりもあのエリザヴェータのド迫力。あれは有名な女優さんなのかな。美人とは言えない風貌なのに目が釘付けになる。妖怪? エリザヴェータの父であるピョートル大帝が幼少の頃、姉のソフィアが摂政をしていて、やがてこの姉は失脚して修道院に幽閉の身となるのだが、その憤怒の姿を想像で描いたレーピンの絵『皇女ソフィア』の像と重なって見える。意図した演出なのだろうか。今後の展開が楽しみだ。ロシアの連ドラなんてそう放映の機会もないだろうから、是非一度、わき役に注目してご覧下さい。

by hikada789 | 2018-12-06 23:37 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
b0214800_21121856.jpg日産の雇われ外人社長やら経済界のなんとか役員やらの億単位の報酬が、貰い過ぎだと世間で取沙汰されている。今日も頂きものの野菜や果物を食卓に並べて合掌する慎ましい宇宙人は、他人がいくら金を貰っていようが一向気にならぬのだが、世間の皆さんはこの種のいわゆる経済格差に憤りを感じたりしているのでしょうか。私の印象では、そういう日本人は多くない。なぜなら日本の伝統的価値観では金持ちかどうかで人を量ることを下品としているし、人品の卑しい人ほど金銭に執着するものだという正しい人間識別方法が少なくとも侍の時代から身に染みついているからだ。外国人と話してご覧なさい。彼らにこういう価値観はないから、人前で平気で金儲けの話をするし、初対面の人に平気で月給を尋ねたりする。特に文化程度の低い国や家庭の出身者ほどそうだ。知性や教養のない人間は、せめて金でも積み上げねば人さまに重んじてもらえない。そして知性や教養のある人間ほど、金銭の話題には触れたがらない。禄と印は土剋水で相容れないものなのだ。
では日本人はこうした事件に対して、過剰な報酬金額でなければ何に眉をひそめているのか。正当な報酬ではなく横領だったかもしれないという不正に対してか。しかし法律に大して詳しくもない一般市民が法的な不正とそうでない境目を明確に把握しているはずもないので、多分そこではない。では我々は何にモヤモヤしているのか。

b0214800_21385352.jpg今は亡き西部邁氏はこんなことを言っていた。「人間の能力には確かに差がある。優秀で役に立つ人間もいれば、無能な人間もいる。これを一律同じ人間だとして、同じ報酬や同じ扱いにするのはおかしい。役に立つ優秀な人間の方が大事にされて、無能な人間より多くの報酬を得るのは当然のことではある。しかしその優秀と無能の能力差は、二倍、三倍はあるだろうし、十倍くらいもまああるとして、百倍、千倍、果ては一万倍もの差はあるだろうか。いくらなんでもそこまではないだろう。しかし現代社会は所得金額が個人の能力に比例すると考えるので、高所得者と低所得者の所得金額の開きが、そのまま両者の人間としての能力差だと錯覚してしまう。だがそれはおかしいと、感覚的に判るはずだ。我々の能力差は十倍、二十倍がせいぜいなのに、受け取る金額は百倍も千倍も違う。どうしてこんなにズレるのか」
つまりシステムがおかしいと、西部先生は言いたいのだ。ついでに価値基準もおかしい。これでは金儲けの上手い人だけが能力の高い人間だという図式になってしまう。人間の能力はそんなに単純には量れないものなのに。人間の真価はもっと別の物差しでいろいろな角度から量るべきものなのに。今回の報道で日本の視聴者がモヤモヤしている根底には、こういうことがあるのではないかと考えます。

画像は脈絡なく、最新のレザー試作品。友人の注文で三つ折り財布を作ることになり、ネットのサンプル画像から型紙を起こして組み立てた。思ったより上手く出来て使用上問題はないが、見えてはいけない部分の縫い目が見えたり、革の重なりで分厚くなったりしたので、これらを克服して本番に臨むとしよう。

by hikada789 | 2018-12-04 21:39 | その他 | Comments(0)