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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

前回の余話#70で取り上げた『血液型の科学』の著者は免疫学の観点からABO型血液物質の特質を指摘し、動植物にもABO型血液物質が存在し且つ種類によって偏在していること、病原菌もまた同様にABO型物質に対する好嫌があること、従って食物や病気に対して人間の血液型はそれぞれに相性があり、それが物事に対する好みや性格に反映されていてもおかしくはない、という説を述べていました。
私はこの意見に賛成で、従って血液型による性格の違いはある程度区分けできると考えていますが、同時にそこには全く優劣はないと考えています。しばしば指摘されることですが、就職活動で血液型が影響するとかいう話をきくと、損をしているのは大抵B型のようです。B型が気ままだとか協調性に欠けるとかいうのが理由です。なるほど、そうかもしれません。ですがこれは本当に短所なのでしょうか。
協調性に欠けるということは容易に周囲に同調しないということであり、もしも周囲が間違った方向に突き進んでいる場合には、その間違いに気付いたり指摘したりする能力があるということです。現代は民主主義を善しとする社会であり、物事は多数決で決まり、それが大多数の人々の幸せと直結していると思われていますが、それは同時に少数意見を抹殺するシステムだということです。少数意見が間違っているという理屈はありません。正しい場合も大いにあり得ます。そして大多数の意見が間違っていた場合、その大集団は破滅するのです。そうした危険を回避するために、B型のような周囲に流されない視点の持ち主が必要なので、彼らはこの世に生まれてくるのだと私は考えています。そういう意味で、B型なりAB型なりといった日本において少数のグループは、その鋭いツッコミ視線ゆえに今後も多数派にはなれないだろうと推測します。(外国においては血液型配分が異なるので、また違った様相になるかと思います。)

算命学はバランスを重んじる思想です。陰陽なり五行なりのどれかに極端に振れてしまう場合、その反動で一気に壊滅する危険性について警告しています。陰陽で云えば、昼と夜は1日の時間を折半しており、季節によって昼が長くなったり夜が長くなったりしますが、1年を平均すれば同量です。1日が昼だけになっても夜だけになっても私たちは生きられないし、人類は男だけになっても女だけになっても存続できないのです。
人間は幸せを希求しますが、自分や家族など一部分が幸せを独占すると、それ以外の人々が相対的に不幸となり、こうした状態は長くは続きません。従って富豪は身代金目当ての犯罪の対象となり、私腹を肥やした政治家は失脚して処刑され、偏った思想を持ち続けた国家体制は崩壊する。貧者は困窮から這い上がろうとあらゆる努力をし、その努力は富める者のそれよりずっと切実なので、周囲の同情や称賛を集めやすい。富がない代わりに別のものを得る機会に恵まれているかもしれない。或いは昨今の「イスラム国」のように、暴力に物を言わせて世の中を転覆しようとするかもしれない。

最近話題の経済の本では、今日の資本主義経済においては裕福な人がより裕福になる一方で、貧乏人がどんなに働いても貧乏のままであるという揺るがぬ事実を指摘し、こうした社会システムは間違っていると声を上げ、多くの読者の支持を得ているといいます。算命学の思想をご存知の方には、これは言わずもがなだと映るでしょう。富める者が更に富んでいくという極端な事態が如何に危険か、貧乏人が貧乏ゆえに子孫も残せないほどだという事態が如何に不自然か。そんな世界が破滅しないためにはもっとバランスが必要だと、算命学は諭しています。陰陽も、五行も、血液型も、適度にばらけているのが良いのです。
ちなみに日本という国は、ABO型血液型は世界平均に比べるとかなりばらけています。だから世界が崩壊から逃れるためには、日本人の伝統的価値観である和の思想、循環の思想、中庸の思想が役に立つのです。そういう意味でも、私は日本人が直線思考を重んじる欧米文化に追従するのは馬鹿げていると思うし、せっかくの自分の長所を放棄するようなグローバル教育にも反対なのです。

さて、今回のテーマは算命学の同列思想についてです。前回の記事で少し触れましたが、被害者と加害者が同じ土俵に乗っているという話です。聞き慣れない人にはショッキングだったかもしれませんが、運勢鑑定の際はこのポイントは押さえておかなければなりません。というのは、運勢鑑定の依頼人は大抵人生に行きづまっていたり、困難に直面していたりするものですが、鑑定者はそれが本当に避けがたい宿命によるものなのか、単なる本人の思い込みなのかを、正しく判断しなければならないからです。
再三申し上げているように、宿命に優劣はありません。あったとしてもほんの数例にすぎず、そんな例外的な宿命の持ち主に不幸があるとすれば、その人はとっくに死んでいます。まだ生きているというだけで、その人はこの世に存在する意義も役割も充分にある。そういう前提で鑑定しなければなりません。だから本人が訴える不幸の多くは、思い込みである可能性が高く、考え方を変えさせるだけで不満が解消する場合も多いのです。

それでも人は、予想もしなかったような大きな不幸に見舞われたとき、その原因を自分ではなく誰かのせいにしたがります。その方が心理的に楽になるからです。自分のせいだと思うのはなかなか難しいし、本当に自分のせいだったなら尚更苦しい。
算命学ではそうした不幸の原因がどこにあるのか宿命から推し量ることができますが、そうして導き出した結論が依頼人を満足させないこともしばしば起こります。こうした場合に鑑定者はどういう態度でいるべきか、算命学の基本思想をベースに考えてみます。鑑定技法ではなく思想の話ですので、購読の際はご留意下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「シーソーする世界」です。「算命学余話 #U71」で検索の上、登録&もつ煮込み一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
# by hikada789 | 2015-01-17 17:20 | 算命学の仕組 | Comments(0)
風刺画をめぐるフランスのテロ事件が連日報道されている。新調したテレビをつけたら、数千では済まない数万もの群衆が建物に囲まれた広大な広場を米粒のように埋め尽くす映像に出くわし、真っ先にカーバ神殿だと思った宇宙人。カーバ神殿とはサウジにあるイスラム教徒の聖地で、中央の黒く四角いシンボリックな目印を中心に信者が周りをぐるぐる回る写真や映像がよく知られている。ものすごい人出なので全体を映すと群衆は米粒に見える。しかし今回の映像はカーバではなくパリ中心部だった。テロに抗議するフランス人が米粒となってひと処に密集している姿は、イスラム教徒のカーバ神殿での様子と瓜二つであった。

あなたはシャルリですか。宇宙人は違うぞ。表現の自由を振りかざして他者を中傷しているかもしれない人たちとは同列には並べない。フランス革命の歴史を持っているのに密集する非欧州人民を大なり小なり軽蔑してきた近代フランス人の、植民地政策時代から今日に至るツケが遂に回ってきたのだ。自分だけが正しいと考える人間は同じく自分だけが正しいと考える人間に遭遇し、同じステージで争うというのが算命学の同列思想で、私はこれに賛成です。被害者と加害者は同じ土俵に乗っている。もしステージが違うのなら両者はそもそも出会わない、という考えなのです。だから偶然にも私がパリのデモとカーバ神殿の様子を取違えたのは、算命学的には偶然ではなく必然なのです。被害者が一方的に可哀相という理論はなく、被害者が可哀相なら同じくらい加害者も可哀相だし、加害者が悪者なら同時に被害者も同じくらい悪いのです。そうでないなら両者はめぐり会ってさえいないはずですから。

大方のメディアが国力の強いフランスの主張を正しいとして「ペンは剣より強し」の正義に味方する中、私がテレビを新調してでも見続けたかったTOKYO MXでは、田中康夫が「私はシャルリって大政翼賛会みたい」発言をフリップ付きでコメントしてるし、あまり好きじゃないエジプト人の辛口タレント、フィフィは視聴者から寄せられた「この風刺画はヘイトスピーチに当たるのでは」との意見に泣き出さんばかりの同意と感謝を述べている。ペンは剣より強くていいんだけど、そのペンが毒を吐いていたらどうなのよ、という議論がもっと出て来ていいのでは。ついでにやはりMX御用達のカルーセル麻紀は、花のパリ在住のオトモダチと電話で話し、「このデモに参加しない者は人間じゃないみたいな雰囲気」との現地のナマの言葉を伝えている。このオトモダチがフランス人なのか日本人なのかは判らないが、かなり冷静な視点だ。フランスが先進国で、精神面でも進んでいると思っている人がいたなら、この機会に認識を大きく改めることをお勧めする。
結局表現の自由だとか権利だとか友好だとかは口実にすぎず、人間はどの人種であろうと宗教であろうと、自分に都合のよいのが正しくて、都合の悪いのが悪なのだ。都合のいい時だけ表現の自由を振りかざすのだ。権利を叫ぶのだ。そして声の大きいものが勝つ。大きな声に惑わされないためにも、声の小さいMXをご視聴下さい。土星の裏側からの発言は更に地球に届きにくくて小さな声ですが、高性能のアンテナをお持ちの皆さんには受信できることでしょう。
# by hikada789 | 2015-01-13 15:53 | 算命学の仕組 | Comments(0)
新年の神様のお告げに従い旧式テレビを処分して、天井でつっぱる薄型本棚をドライバーで組み立て、設置。溢れた本が入る入る。三列縦隊のラックもすっかり軽くなり、快適なわが家となった。余話の売上を注ぎ込んでテレビも新調した。皆さまのお蔭です。あれ、民放のBSってタダで見れるのか(←浦島)。録画用ハードディスクってサイフより薄いぞ(←浦島)。ハードディスクはパソコン周辺機器だとしか認識していなかった宇宙人、録画データの消去は一旦パソコンに繋ぎ直して削除するものだろうかと考えつつ取説をめくり、そんな必要なくワンタッチで消せることを知る。どれだけ浦島なのだ。
でも世の中はもう4Kへ移行しようとしているから、多分お買い得なタイミングでの購入になった。トレンドに背を向ける宇宙人は新製品なんて買ったことがない。すっかり普及して安くなるのを待つのだよ。震災の直前に契約した初めてのガラケーだって本体0円だったし。安くてもちゃんと働いてくれているので長く愛用するのだ。

さてNo.652で案内したロシア映画「ヴェラの祈り」を観ましたが、夫婦の会話のないあなた、必見です。渋谷で23日までやってるから是非みて下さい。この作品のコピーは「妊娠したの。でもあなたの子じゃない」なのでてっきり不倫ドラマかと思いきや、夫との会話のない生活に疲れた妻のウツ話でした。日本の妻たちは忍耐に忍耐を重ねたあげく結構年取ってから熟年離婚という報復措置に出るのが一般的だが、ロシアの女性は、まあプーチンの前妻の例もあるけど、まだ若くて魅力的な年なのに心が先に折れてしまう、そんな例をとり上げた社会派映画です。妻曰く、「夫は私をモノか何かのように扱うの。結局彼が愛しているのは私や子供たちじゃなくて、自分だけなのよ」。日本の男たちよ、よく耳を傾けておくのだ。熟年離婚を宣告される前に。

ちなみに、当ブログでしばしば指摘しているように、ロシア人のメンタルは日本人のそれに近く、私から見れば西欧より日本寄りだ。前回の血液型の話になるが、大航海時代に中南米から持ち帰った梅毒その他の凶悪な感染症により、西欧社会は免疫力の強いO型ばかりが生き残って今日に至っている。もちろん本家の中南米の国々は今も昔もO型王国である。西欧を席巻した感染病原はその後東へ向かうが、東征中に毒性が徐々に弱まり、極東に到達する頃にはO型以外の人間を壊滅させるほどの威力は失せていた。従ってシベリア、中東、モンゴル、インドほか東洋諸国はO型に偏らない血液型配分となっている。大陸と海で隔てられた日本がガラパゴスな血液型配分になるのは当然なのだ。
しかしシベリアを抱えるロシアもこれに該当し、世界でも珍しいA型の多い配分地域となっている。A型といえば日本人に最も多い血液型で、我々はその性質をよく議論するが、ロシア人もこれに当たっているなら「ヴェラの祈り」のヒロインのような心の動き方は日本的感性に則している。実際、わたしも観ていて随分日本的な感覚のヒロインだなと思った。風貌が金髪美人なので却って違和感があるくらいだ。がさつな欧米女性がこの種の不安な心境に悩むとは考えにくいからね。きっと欧米ではウケない映画だと思います。ともあれ日本人、特に中年以上の男子、勉強になるから見ておいて。
# by hikada789 | 2015-01-11 17:58 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
寄生虫学や感染免疫学がご専門の藤田紘一郎氏の著書『血液型の科学~かかる病気、かからない病気』によれば、血液型は人間の性格に影響を及ぼしてしているという。曰く、「腸は動物の進化の過程で最初に出来た臓器です。腸の周りに脳が生まれ、続いてその他の器官ができました。脳の情報は脊髄と自律神経を通じて腸管粘膜の中にある神経細胞にすべてが伝達されます。「腸は第二の脳」といわれている由縁です。腸には血液型物質が非常に多く含まれており、その腸が脳と密接なつながりを持っていることを考えると、血液型は体質や性格にも影響を与えていると考える方がむしろ妥当ではないでしょうか」。

ABO式血液型は、最初にその識別物質が発見されたのがたまたま血液内だったため「血液型」と命名されたが、実際には腸にもその他の臓器にも同様の物質が存在し、それらをひっくるめて考えなければならないという。ABO式血液型は人間以外の動物にもあれば植物にもあり、抗A抗体や抗B抗体といった免疫その他に大きく関与しているため、動植物を食する人類にとって自分の血液型と相性のいい食物というものは確かにあるのである。
例えば原初の人類はほぼ全員O型であり、これは抗A抗体も抗B抗体も持っている型なので免疫力が最も強く、原初の人間の食生活である狩猟採集から得た食物の摂取に適した胃腸を持っている。逆にいえば家畜肉や小麦などの農作物の消化に弱さがあるというわけだ。
家畜肉の代表であるブタはA型の動物であり、同じA型の人類はこれと相性がいいが、B型の人類は抗A抗体を持っているのでブタ肉を摂取すると体内で異常と判断されて闘ってしまい、一種のアレルギー反応を起こす。つまりB型人間は免疫的にブタ肉とは相性が悪いのである。B型は遊牧民に多く、羊肉や乳製品とは相性がいい。
そして抗A抗体も抗B抗体も持たないAB型は最も免疫力が弱い無防備な体質であり、逆に言えば苦手な食物というのはあまりない。体内に抗体がないのでどの食物もまんべんなく食べられる。しかし何でも受容できるということで感染症には圧倒的弱さを誇り、全世界にAB型が少ないのは天然痘や梅毒などパンデミックで地域によってはほぼ全滅したからだという。尤もAB型が例外的に強い感染症にコレラがあり、どういうわけかコレラだけは生き延びる。ABO式世界はうまい具合にバランスがとれているわけです。

なかなかショッキングな話ですね。ご自分の血液型と相性のいい食物やかかりやすい病気について詳しく知りたい方は是非お読み下さい。藤田博士はこうも語っています。
「昨今のテレビには医師たち20人が素人の意見に答える番組があり、血液型によってかかりやすい病気がありますかとの問いに対し、全員の医師がノーと答えた。全員勉強していないことが判ります。現役医師としてお粗末です。」
なかなかツッコミの厳しい免疫プロフェッショナルのお言葉です。藤田博士の考えでは、食物ひとつ、感染症ひとつとっても血液型によって得意不得意があるのだから、それにともなった体質ひいては性格の違いが出てもおかしくはない。判りやすい例としては、感染症に対する免疫で最強を誇るO型は人ごみに混じっても簡単に病気をもらわないし、未開地に行っても風土病に対する抵抗力がある。だから大らかで活動的になる。真逆のAB型が集団を避けて単独行動を好むのは、自分の免疫力の弱さを本能的に知っているから人との距離を置きたがるのではないか。なるほど、実に合理的な解釈です。だから免疫のプロとして藤田博士は、血液型による性格の違いを否定しないのです。

算命学の立場から、私も血液型による性格の違いを支持しています。どんな違いであれ、ほんのわずかでも違うということは、その人の運勢に決定的に影響を及ぼします。ただその影響が人知の及ぶ範囲でないから見えないだけです。
ただし巷に横行する血液型性格判断や今日の運勢については否定的です。何を根拠に今日のA型はどうなるとか判断しているのか私には判りません。何か統計でもとった上での判断なのでしょうか。ABO型物質の発見は百年前ほどなのですが。AB型の次に免疫力の弱いA型は、これまた例外的にペストに対してのみ強いそうですが、世の中をペストが席巻しているときに「今月のA型は健康運に期待が持てそうです」とか書かれていたら、そりゃあ信じますけどね。細部についてはある程度の根拠を並べてくれないと、藤田博士の説のようには説得力を感じません。

さて健康についての話題になったので、算命学における健康判断についても触れておきましょう。といっても鑑定技術にまでは言及しませんが、一般に健康判断は散法の害を使いますから、そもそも害とは何か、なぜ害が健康に影響するのかを、地球規模の話として紐解いてみます。比較対象として合法の支合についても触れます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「害の性質を考える」です。「算命学余話 #U70」で検索の上、登録&おかき一袋分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
# by hikada789 | 2015-01-09 16:13 | 算命学の仕組 | Comments(0)
初詣を地元の由緒ある神社でしたのだが、行列に並んで見上げたら本殿の正面に懸かった注連縄に違和感が。近付いたところで目を凝らすとなんとビニール製ではないか。神社でまさかのフェイク。やめてくれ。有難みが失せるわ。ビニール紐をよったものなので切り揃えた先端部分が静電気で浮き上がり、なんともチープ。前回案内したしめなわ展示に赴いたところ企画者に会えたのでこの点を訴えると、「最近は材料の藁が手に入りにくくて、ベトナムなどからわざわざ輸入してるんですよ。日本のお米は製造過程で藁を裁断してしまうので長い物はないんです。それでビニール製も近年増えてるんですよ」とのこと。勉強になるなあ。展示場には来場客が自分の持つしめなわ情報をイラストで描き込めるコーナーがあるので、宇宙人も筆をふるってビニール注連縄への不満を書きつけた。皆さん、来場の際はご笑覧下さい。お店は結構高価な民芸品を並べるおしゃれな店でした。

更に前回続き。本棚といえばふと思い出したロシアでの生活で、当地のインテリのお宅にいくとほぼ例外なく壁面本棚の部屋があった。家屋が国家所有物であったかの地では都市部に戸建はなく、軒並み集合住宅。めったに引っ越さないから好き勝手にリフォームしていいのだが部屋数までは増やせない。このため書斎がほしくても持てないお宅では居間の壁面を造り付け本棚で埋め尽くし、これでもかと書籍を詰め込むのだ。この風習、地震のない土地だから造り付け家具に転倒防止の意味はなく、万事物不足の社会だったため簡単に手に入らない家具をこのように補ったとも考えられるが、なにより壁を本で塞ぐことによる盗聴防止の意味合いが第一だったのではないかと思われる。お国柄である。
しかし私はいい空間の使い方だと感心していた。こう見えても住宅建設業の社員だったことがあり、日本の家屋の長所短所について一言ある。近頃の新築はマンションも含めてウォークインクロゼットなど横文字のスペースが設けられているが、衣類の少ない私はこんな部屋より書棚を造り付けた部屋の方がありがたいよと常々思ってきた。以前作家の平野啓一郎が取材で自宅を見せていたが、既に結婚して新居のマンションに入っているその書斎は当然本だらけなのに、本棚は背丈ほどのよくある既製品を壁に並べたもので、狭い部屋に占める割合と天井に空いた無駄なスペースがいかにも賃貸ですといった感じで興ざめしたものだ。

既製品の本棚は奥行がありすぎるのだ。単行本のサイズまでならもっと薄くできるし文庫本なら更に薄くなるのだから、規定外の大判本のための収納は別に考えて広く薄くのばす方向へ進化してくれればよいものを。マンションの場合は梁の問題もあって天井まで届く2m越えの家具が設置できないということもあるが、ならば最初から梁のある壁面に収納を造り付けてくれれば空間は無駄にならないではないか。空いた空間はホコリが積もって不衛生なのだよ、とまあ宇宙人は凝った家具やインテリアよりすっきり片付く機能性を重視しているのでかような主張になる。近頃の建売りはキッチンやお風呂の内装が選べるという売りの物件もあるが、それができるならなぜ本好きの顧客のために壁面書棚のオプションを設けてくれぬのだ。溢れるほどの本を所有する人種は家具の色や材質などの興味は薄いのだ。それより一冊でも多くの本を背表紙を縦に並べたいのだよ。どこにあるかすぐ見つけたいのだよ。たとえ天井近くで手が届かなくとも背表紙が見えるのが便利でいいのだよ。奥行のある本棚には結局二列に本を収めるから奥の列は見えなくなるのだよ。我が家のラックは既に三列縦隊なのだよ。いちいち前列を取り出して探すのが面倒なのだよ。スライド式本棚は分厚い上に前列の半分が無駄なスペースになるのだよ。機能性が削がれているのだよ。

もっとユーザーの使い勝手を研究してくれたら本棚も家屋も進化の余地はあるはずだ。宇宙人は提案する。本好きのための建売り又は内装リフォームを。衣類よりも書籍の持ち物の方が多い顧客をターゲットにした充実の壁面書棚。床から天井までを可動棚で隙間なく埋め尽くした耐震リビングや寝室をご提案。可動棚なので薄型テレビはもちろん小物やお写真も飾れます。お好みで扉やガラスもお付けできます(本好きは多分これは要らない)。足りなければ窓周りやトイレにも棚を増やします。クローゼットの奥には見られて困る書籍のための隠し棚もお付けします。こんな物件で中規模アパートを一斉リフォームしたら、本好きや作家や学者が集まるインテリハウスになるのでは。一階はいま流行りの本屋カフェやスタディルームにしてさ。そんなアパートを経営してカフェのマスターをやっている自分を夢想する宇宙人。自分は無理でも誰か実現してくれないかなあ。
本も音楽も今後は電子化が進んで物理的に棚に並べることはなくなるとの意見もあるが、私はそうは思わない。本やCDの中身は確かに情報だが、形としての役割もなくなりはしないからだ。装丁であったり手触りであったり棚に並んでいる風景であったり、その瞬間の思い出や思い入れは形あるものの方が浸み込みやすいのだ。
# by hikada789 | 2015-01-06 18:37 | ロシアの衝撃 | Comments(2)

by 土星裏の宇宙人