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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

東部で戦闘が続くなか新しい大統領が就任したウクライナの情勢について、極東出身のジェーヴシキに鼻の下を伸ばしている宇宙人に意見を求められても困るのですが(Max Luxuryを検索したら「2億4千万の瞳」を歌っている動画が見つかり、頭の中がオークセンマン、オークセンマンなのだ)、テレビや新聞が語る型通りの、客観的というより米国寄りなニュースにいまいちピンと来ない土星裏読者のために、宇宙人が最近見聞きした佐藤優氏の見解をザクザクっとまとめるとこんな感じになります。

ウクライナの首都キエフで炎が上がったのは、浅田真央のトリプルアクセルの興奮冷めやらぬソチ五輪閉幕と同日だったから今年2月末です。この事件で国から逃げ出す破目になった前大統領の動物園付き豪邸がその後公開されたため、カネまみれの強欲な悪徳政治家に怒り骨髄に達した市民が正義の鉄槌を振り下ろしたのだと思われがちですが、実はそうではなかった。ロシアの大統領プーチンが「あのキエフの暴徒どもはならず者だから話し合いに応じないよ」と強硬な態度を示してその後クリミアを自国の領土にしてしまったのを、どさくさ紛れに領土をぶん捕った卑劣な行為と見做すのもこれまた正しくない。なぜならあのキエフの暴動の首謀者たちは本当にならず者だったからだ。
彼らはヨーロッパではもはや禁じられた印となっているナチのカギ十字を堂々と掲げて憚らず、暴動の模様は映像として世界に流れたため、目のいい人はすぐにマークを見咎めたし、何よりナチを恐怖する米国のユダヤ人が騒然となった。プーチンをこき下ろすことで自分の株を上げたいオバマがこのカギ十字暴徒をEU派ウクライナ人つまり正当な主権者と見做して支持を表明したことで、米国のユダヤ人の反発を招き、結果支持率をまた下げることになるのだが、確か日本のメディアはそんな事情は伝えていなかったように思う。私もカギ十字には気付かなかったし。

いずれにしてもプーチンが最初にならず者と呼んだのにはちゃんと根拠があったのだ。なのに西側諸国は(主に米国だが)ひとりプーチンを悪者にして暴徒から発したウクライナ暫定政権にさも正当性があるように宣伝したのである。カギ十字に気付かなかった私も、当時は何となくプーチンの言い分の方が当たっている気がしていたが、彼のシンプルで強硬な物の言い方は、確かに他国に覇権主義を疑われても仕方のないものだったかもしれない。ソ連時代のあの国のイメージを彷彿とさせるものがあったからね。尤も佐藤氏の見解ではプーチンの主張もまた正当とは認められないのだが、これは後で語るとして、その後トントン拍子にクリミアが住民投票しロシアへの編入を決め、あっという間に編入が完了したのはさすがプーチンといったところだ。
西側はあの住民投票の結果そのものが捏造との疑いをかけているが、私の妖怪アンテナも佐藤氏の分析も事実と見做してよかろうと云っている。それはクリミアがもともとロシアの領土であり、1954年つまりスターリンが死んだ翌年にフルシチョフが友好の証としてウクライナに贈呈したという歪んだ歴史があるからだ。ソ連崩壊後のロシア人がこのフルシチョフの行為を馬鹿げた軽挙と呼んで嘆いていたのを私は直に見て覚えているが、佐藤氏の分析によれば、スターリン死後の後継者争いでフルシチョフは当時のウクライナ勢力の力を借りること大だったので、その見返りだとしている。そうだよな、ただでやるほど共産党員はお人好しでないよ。勝手にプレゼントにされたクリミア住民は堪ったものではないが、当時はソ連として一緒くたの国だったから大した弊害はなかった。弊害になるのはソ連が崩壊してからなのだ。
ともあれクリミア住民の意志がロシア編入を望むことには信憑性があり、この点から私はクリミアの編入は是と考えているのだが、元外交官の佐藤氏は視点が高いのでこれもイカンという。なぜならこれを認めると戦後不動だった世界の国境線を今後は変えてもいいという前例を作ることになるからだという。つまり北方領土や尖閣をロシアや中国が今後はウチの領土にすると言い出した時に、正当性を主張するタネになってしまうからだ。

ウクライナに戻ると、気の毒なプーチンはその後「クリミア以外の土地に領土的野心はない、ただロシア系住民の安全を守るため」とロシア軍をウクライナ国境へ集めたが、これまた私の目には本当に言葉通りの意味しかない行為なのに、西側は、というより米国はプーチン悪玉説に拘るあまり「領土的野心があるのだ」と決めつけて、「ウクライナを併呑した暁には西側に軍を進めて果てはリスボン(ポルトガル)まで占領するつもりだ」とまで拡大解釈して騒いでいる。かような夢物語に対する佐藤氏の反応は「馬鹿かよ」というもの。繰り返しますが、いくら風貌が『ヤマト』のデスラー総統に似ているからといってプーチンは地球征服を目論む宇宙人ではなく、ロシアの軍隊は無尽蔵ではなく、ロシアの国家予算も限られている。フェイスブックでアラブの春が巻き起こるほどの昨今の世界状況で、一国が全世界を敵に回して勝てる現実があるわけないのである。そんな行為の先に国益があると本気で考える人間の頭の弱さを、佐藤氏はべらんめえ調で指摘する。そして米国の政策立案者がどうしてそんな頭の弱さを露呈するのかについての分析として、ソ連崩壊以降の米国の脅威がアラブやタリバンや中国に移ったため、それまでよく働いていた旧ソ連専門家をブレーンからリストラしてしまい、その結果お粗末な専門家に意見を仰ぐ破目に陥ったからだという。なるほどなのだ。

いま紛争中の東部ウクライナの住民の多くが自分たちもクリミアのようにロシアへの編入を望んでいるとしても、プーチンは彼らの土地をクリミアのようにかっさらったりはしていない。それは恐らく彼にとっては国益に反する行為なのだろう。彼がその気になればクリミアを見よ、あっという間に併呑してるわ。でもクリミアひとつとってみても、プーチンは一応法的手続きを踏んで編入させたのだ。住民投票の結果を待ったし、秒殺だったけどちゃんと自国の国会の承認を得てから手続きした。非常事態を盾に法律を無視したわけではなかった。ロシアはもはやソ連とは違うし、それ以前に当時とはもう時代が違うのである。いつまでも冷戦時代の尺度で相手を図るからリスボン説などというホラ話が湧いて出るのだ。
ええと、ウクライナですね。5月末の大統領選挙で選ばれたポロシェンコ氏の前身はお菓子企業の政商だそうです。肥えてて何となくそんな顔ですが、政商というのはちょうど私がロシアにいた頃流行っていた人種で、ソ連崩壊のどさくさ紛れに国営の巨大企業を手に入れた財界の大物のことです。1つの企業で国家歳入の何割かを占めるので政治に対する発言力があり、経済立て直しに喘ぐ当時のエリツィン政権を悩ませた。その後KGB出身のプーチン親分が政権を握るとサクサクっと掃除されて、ある者は投獄され、ある者は亡命し、最近亡命先で死んだりしたなあ。つまりロシアではこの種の人間はもうすっかり大人しくなってプーチンに仕えている過去の人なのに、ウクライナではソ連崩壊から20年以上経っても未だ健在、つまり全然進歩していないのだ。あのバカでかいロシアに比べれば小回りの利くサイズの国なのに、なぜ。

本日の結論。ウクライナは実にあこぎな国である。いや一般国民が悪いわけではなく、それどころか一般のウクライナ人は勤勉で控え目との評判が高いくらいですが、ソ連からの独立以降、いやもしかしたらクリミアと引換えにフルシチョフを書記長に推した頃から既に、政治上層部は芯まで腐っていたのかもしれない。ウクライナは今も昔もロシアの天然ガスに頼っているが、ソ連崩壊後も馴染みのよしみでEUに比べればずっと安い割引価格でロシアはガスを売ってくれている。それなのにウクライナは代金を何年も払っていないのだ。なぜなら国が貧乏だからではなく、政治家たちが動物園付き豪邸に住んでしまうからである。そしてさすがのロシアも頭にきて「今すぐ代金払って頂戴」と督促すると、ウクライナの政権は自国を通ってEUにつながるガスパイプラインのコックを捻り、EUに向かって「ロシアの言い分をきくとガスがそっちに行かなくなるよ」とうそぶき、EUを動揺させてロシアバッシングを促すのだ。ロシアの代金請求は全く正当なものなのに。そうしてロシアとEUの双方からカネをせびってせびってせびり倒したら自分も倒れてしまったのが前大統領なのである。何という悪逆非道なカツアゲ国家であろう。
繰り返すがウクライナ国民が悪いとは云わない。云わないが国としてやっていることは、佐藤氏曰く「戦前の所有を主張して船舶を差し押さえた国と同程度に」腐ってる。そんな中で一応は選挙で選ばれた政商ポロシェンコ氏はどんな立ち振る舞いをするであろうか。プーチンは彼を正当な交渉相手として認めたが、これは私の目には結構大人の態度に見えた。だってポロシェンコのあのお菓子な顔は、一見して借金を返すために身を粉にして緊縮財政に励むタイプとは思えないのだよ。結局最後にシワ寄せの来るのはウクライナ国民で、ロシアと同じく美人の産地であるかの国のジェーヴシキがまたぞろ錦糸町辺りで働くことになるのだ。誰か何とかしてやってくれなのだ。
# by hikada789 | 2014-06-08 18:33 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
前回補足。ロシア・フェスの開会式で開幕の音楽を奏でていた室内オーケストラとオペラ歌手マクサコワのコラボ演奏会がこの一週間に集中しており、昨日都内で初回のを聴きに行ったのですが、お勧めです。オケはモスクワ・マラジョージヌィ室内オーケストラという名称で、マラジョージヌィとは「若手の」という意味。2003年創立のオケで指揮者以外は20代が中心の若々しい顔ぶれもさることながら、お堅いクラシックからパロディ編曲までとレパートリーの幅が広く、クラシックが苦手な人でもショーとして楽しめます。『のだめカンタービレ』に出てくるようなオケメンバーの肉体パフォーマンスあり、木琴ソリストの瞬間芸に近い超絶技巧演奏あり、バロックとジャズを混合した珍しい曲ありと、高度で堅実な技術に裏打ちされた、しかし通常のクラシックコンサートでは見られない新しい取組みが見どころです。重厚な文化を誇るロシアも世代交代を目論んでいるようです。

またソリストとして演目の半分を担っているマリア・マクサコワの歌声も素晴らしく、近くの席だとその技術の高さや声に対する細かな気配りがよく判り、素人でも驚くほどです。宇宙人は謡をやっていますが、発声方法の違うオペラ式声楽ってここまで鍛えるんだなと研鑽ぶりに驚嘆しました。まだ若いけどこれはもう押し出しの強いロシア女性というやつで、モデルや国会議員もこなしているマルチアーティスト。得意のレパートリーであるカルメンそのままの風貌で、まだ風格のない若い室内オケをぐんぐん引っ張ってます。
(ちなみにこの人はフェスの開会式で自分の出番が終わると歓談しにホールに下りて来たが、あるロシア人男性を捕まえると突然政治家の顔になり、終始眉間にしわを寄せて難しく語らっていた。いろんなのがいるなあ。)

でも宇宙人イチオシの演目はポドガイツという聞き慣れない名前のロシアの現代作曲家が、このオケの団長兼指揮者であるヴォロナ氏のために作曲したという「ヴォロナと室内オーケストラのための音楽(ノクターン)」です。初演は2010年のニューヨークというから大変新しい曲で、バイオリンのソロ部分を指揮者であるヴォロナ氏本人が演奏するというもの。自分のために作ってもらった曲を演奏できるなんて素敵ですね。非常に丁寧な演奏でした。曲も現代音楽ではあるけど旋律が抒情的で捉えやすく、しかしロシアの作曲家なので憂鬱に満ちた美しさがある。こういう曲は他の演奏家や演奏会では採り上げてくれないだろうから、今回の披露は貴重です。都心周辺であと4回同じプログラムの演奏会があるので、興味の湧いた方は是非。

(4)マリヤ・マクサコワとモスクワ・マラジョージヌィ室内オーケストラ演奏会
◆6月4日(水)19時より千葉・京葉銀行文化プラザ音楽ホール。
◆6月5日(木)19時より横浜・関内ホール。
◆6月7日(土)14時より武蔵野市民文化会館小ホール。
◆6月9日(月)19時より埼玉会館小ホール。
# by hikada789 | 2014-06-04 13:05 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
ロシア文化フェスティバル2014が今年も始まりました。といってもW杯関連工事が未だ終わらぬブラジルほどではないにしても、期限にあまり拘らないロシアなので一部のイベントはもう既に始まっているし、フェスの終了と次回の開始がかぶっているので一年中お祭り気分なのがご愛嬌ですが、一応けじめのために毎年この時期に開会式を行なっていて、今年で9回目。どういうわけか宇宙人は招待状を懐に忍ばせ会場へ進入を果たし、飲み放題のワイングラスを片手に参加者の間をニョロニョロとめぐって見物したのであった。

会場は多くのロシアメディアが詰めかけ、巨大なテレビカメラが壇上を囲み、記者らがノートPCを持ち込んでその場で記事を書き込んでいる。会場のロシア人と日本人との比率は1:8くらい。両国の国会議員などVIPがいるのでSPの姿もちらほら見えるが、総じてロシア人はセレモニーの生演奏(贅沢だなあ)に呼ばれたアーティストらの若い姿が目立ち、一方の日本人といえば組織委員長である鳩型宇宙人から市井に暮らすタコ・クラゲ型宇宙人までと幅が広く、この大らかな無統一感がいかにもロシアらしかった。議員といえばムネオ氏も来ていて近くで眺めることができた。忙しいのかすぐに帰ってしまったが、やはりロシア要人に人気でした。
その他テレビでよく見かける報道解説員とかいろいろ見知った顔があったが、ビュッフェに並びながら宇宙人が目を付けていたのはセレモニーでフラワープレゼンターをしていた3人の超絶美貌ジェーヴシキだ(ジェーヴシキは娘さん、お嬢ちゃんの複数形)。宇宙人が認める典型的なロシア美人の持ち物である小顔、大きな目、柔らかな輪郭、明るいロングヘア、長い手足をすべて備えた姐ちゃんたちが、最初の立ち位置から動かずに一カ所に固まっている。あまり場慣れしていない様子に宇宙人は忍び足で接近し、無害な人間を装って話し掛けると乗って来た。
3年前に来日して日本で活動しているMax Luxury というボーカルユニットで、要するに芸能人でした。綺麗なはずだ。派手な風貌の割には大人しい雰囲気なので出身地を訊いてみればシベリア、ハバロと東部の地名が出てきた。この辺りはロシアの中ではド田舎なのでこんなに美人でも押しが弱く、控えめな態度が愛らしい。あるいは式典冒頭のプーチンの祝辞の読み上げにビビったのかも。例えばソチ五輪で注目されたリプニツカヤと比べてくれ。ああした自信満々の生意気な態度こそ中央で活躍するスターのマナーというものだ。3人のジェーヴシキはなるべくくっついて自衛に励んでおり、宇宙人の近所のおばさん的アプローチに気が緩んだのか、一人ずつ離れてビュッフェに向かって戻っては「すいません、私たちお腹がすいてまして」とモリモリと旺盛な食欲を見せていた。苦労してるのかな、不憫だな。ロシアより日本で暮らしたいと言うのだが、日本で成功しなかったらこの子たちはどうなってしまうのだろう。6月と7月にライブがあるというので、皆さん是非聞きに行ってあげて下さい。宇宙人も腰痛を軽減しに会いに行こう。ついでに近日のイベントについても掲げておきます。

(1)Max Luxury フジヤマ・パラダイスショー(笑)
6月26日(木)及び7月20日(日)、共に開演は19:30と21:00の二回、入替なし。入場2,500円、飲食別、サービス料10%。場所は六本木のRoppongi KENTO’S。

(2)ソヴィエト・フィルム・クラシックス
お馴染みオーディトリウム渋谷で往年のソヴィエト映画30本を一挙上映。中央アジアやコーカサスの作品が多く含まれる他、アレクセイ・ゲルマン監督の『戦争のない20日間』もラインナップ。6月7日(土)~20日(金)。一回券1000円、五回券4000円、会員800円、高校生600円。

(3)パラジャーノフ生誕90周年記念映画祭
ロシア・フェス関連の催し。アルメニアの巨匠パラジャーノフ監督作品を集めて上映する。渋谷のユーロスペースにて7月12日(土)~25日(金)予定。予定というのは期間の長すぎるフェスの弊害で最初は6月に予定されていたのが7月になり、現在のところ本当に7月に開催されるのかも怪しいので、詳しくは会場にお問合せ下さい。HPにはまだ告知されておりません。

その他No.534で告知した音楽や舞踊のイベントもまだまだあります。例によって宇宙人のコネで1割引きにできるものもあるので、顔見知りの方はご相談下さい。
# by hikada789 | 2014-06-03 16:24 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
オーディトリウム渋谷で開催中のフェアでかねてからの謎であった『フルスタリョフ、車を!』を目を皿のようにして鑑賞し、やっと話が見えた。そしてどうして誰もがワケわからない作品と称するのかも判った。話の展開が早すぎるのと、それに見合う説明一切が省かれているからだ。作り物らしさを排除し現実味や臨場感を高めるため、まるでドキュメンタリー映像のようなカメラワークに徹しており、しかも白黒で良く見えないし、シナリオは物語説明の役目を果たさないばかりか話者本人にしか判らないような辻褄の合わなさで畳み掛ける。これでは初心者がついていけなくて当然だ。エンディングも唐突に展開するので観客は最後まで置いてきぼりだし。さすがにゲルマン監督もこうした観客の反応を見てまずいと思い直し、その後の上映からは冒頭に「スターリンの死については医師団による謀殺説が流れた云々」の史実を字幕で入れるという補足を後付けしたほどだ。まあ一回目に見た時はそれでも判らなかったけどね。

『フルスタリョフ』についてはもう何度か衝撃について記事を書いているのでここではやめて、説明一切を省くといえば、現在放映中の民話風アニメ『蟲師』の制作スタッフが「原作が説明を極力排除した作りになっているので、なるべくそれを踏襲するよう心掛けた」と語っていた。そうなのだ。最近の映像作品は説明が多く、セリフを盛り込み過ぎなのだ。頭の悪い視聴者のために親切をしているつもりだろうが、頭の悪くない視聴者にとってはくどくて五月蠅いばかりなのだ。カットも細かいばかりで落ち着かないし、制作側の人間が落ち着きのない人間なのは構わないが、視聴者まで同類だと思ってもらっては困るのだ。
内田樹だったかな、人間には快適なスピードというものがあり、リニアがいくら音速のスピードで人間を東京から大阪まで運ぼうとも、ひとたび事故れば人間の体はスピードが醸す威力に耐えられず一瞬で砕け散る、そんなリスクのある猛スピードを追求するより生物としての人間が快適と感じる速度を保った方が有意義ではないか、と語っていた。同感なのだ。短い時間に説明ばかり盛り込んだところで、見終わった後に何も印象に残っていなければ見なかったも同じなのだ。ただでさえ慌ただしい現代社会に生きる我々には、更に急き立てる映像よりもゆっくり時間を味わったり忘れたりする映像の方が、心のバランスを保つ上でも価値が高いのだよ。

というわけで再びフェアの話に戻ると、やはりソクーロフ監督作品の時間の使い方が際立ってました。2003年作品の『ファザー、サン』は監督お得意の「黄色い」画面で統一され、カラーを抑えることで余計な刺激を排除。セリフも沈黙ばかりで説明を極力排除。時計の秒針の音を背景に父と息子が延々と見つめ合う濃密な人間関係を描いたゲージュツ映画です。あまりに濃密なので国によってはゲイ映画のくくりになっているほどですが、一番際どい冒頭のシーンでも息子がちゃんとパンツを履いていたから違うと思いますよ。
しかし瞠目するのはゲイかどうかではなく父子の甘えっぷりで、母親のいない家庭で育った恐らく血の繋がらない息子はガタイからいってももう親離れすべき時期であり、どちらもそう思って互いにつれなくしようと努めるのだが、つれなくするほど愛情が甦って磁石みたいにくっついてしまうしょうもない男たち。息子のカノジョなんかとびきりの別嬪さんなのに、父子のべったりに愛想尽かして去ってしまうくらいだ。ロシアの国民性について情報の少ない我が国ではあまり知られていないことだが、かの国の愛情表現のベトベト感といったら、いくら寒い国だからといってそこまですることないだろうとツッコミたくなるほど犬猫なのだ。寒さで鼻が冷たくなるからだろうか、鼻の頭を相手にこすりつける甘え方が広く普及しており、特に男がこれをよくやるので、かわいい子供ならともかく髭の生えたいかつい中年男の場合、キモいのだ。今回の映画では18歳くらいの息子が若くて男前の父親にこれをやってます。まあ絵的にはギリギリですね。

といっても父子は人前でベタベタするわけではなく、しかもロシア語を聞けば非常にかしこまった言葉で会話している。ロシアでは珍しく息子は父をパパではなくアチェーツと呼び、父もまた息子を愛称のアリョーシャではなくアレクセイと呼ぶ。互いに距離を置いた呼び方で、この辺りからも両者が互いに自立した大人にならなければと努力しているのが判るのだが、字幕ではそこまでは伝わらない。親子喧嘩のシーンでも言葉は崩れず、体格の勝る父親が息子を軽く平手で打ったくらいで、あとは寝技でギブアップさせるという紳士ぶり。育ちのいい今どきの軍人親子の無言の葛藤を堪能するという不思議な趣旨の作品です。いや本当に育ちの良さが話しぶりによく出ていて、私のお気に入りのシーンでは、息子が開けっ放しにしたドアを父親が閉めながら「ドアはちゃんと閉めなきゃだめだぞ」と入浴中の息子に声を掛けるのだが、ドアは2枚あって2枚とも開けっ放しだったので2回も同じセリフを言う。しかし2回目になってもやっぱり言葉が荒くならない。あくまで上品で優しいママみたいな父親なのだ。ロシア軍というと将校はともかく兵士レベルは品の悪さで鳴らしているので(『フルスタリョフ』参照)、却って新鮮でした。

ともあれこんな素敵なお父さんに甘えたり突き放したりして悶々とする息子像を描く84分。ちょっと日本や他の国ではありそうにない家族の情景なので、月並みなファミリードラマに飽き飽きしている人にはお勧めです。甘え方といえば同じくソクーロフの『チェチェンへ アレクサンドラの旅』(2007年)では、今度はおばあちゃんに甘えるいかつい孫との関係が見物になってます。チェチェンの駐屯地に面会にやってきた大尉の祖母に、若い兵士たちはメロメロ。もちろん女として見ているのではなく、ロシアのおばあちゃんは平和な日常と庇護の象徴であり、戦地に長く暮らして厭戦気分の高まっている男たちは、それこそ鼻をこすりつけて甘えたい気分でムズムズし、おばあちゃんが食事をするといってはテーブルクロスだお茶だ花だと(花だってよ)部隊中でわたわたし、われ先にとあれこれ世話を焼こうとするのである。この情景もロシアならではの気がする。日本その他の国の男ならたとえ気分は甘えたくとも他人にばれないよう自制するであろう。ロシアは結構丸出しである。作中人物のチェチェン人の初老の女性曰く、「ロシア人の兵士は子供みたい。体は男になっているのに中身は少年のよう」。深いセリフです。
# by hikada789 | 2014-06-01 19:04 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
前回の余話では格法の1つである墓殺格を紹介しました。墓殺格の条件は既に説明しましたが、種類については日干が十種類つまり十干の数だけあり、該当条件となる干支のセットは日干に対して2種類なので、都合20種類の組合せがあるということになります。干支のセットは六十花甲子の呼び名の通り全部で60種ですから、墓殺格に該当する確率は月干・年干でそれぞれ60分の2。この確率が高いと見るか低いと見るかは意見が分かれるところですが、月干・年干が共に墓殺格に該当するともなれば確率は相当下がり、この場合の該当者は墓殺格の意味合いを数倍に加算して考える必要があります。逆にいえば、墓殺格に月干・年干のどちらかしか該当していない人は、共に該当する人に比べればまだまだ逃げる余地が残されていると見做すことができるのです。
墓殺格に限らず、局法や格法、守護神、忌神、天中殺等々、何かと物々しい名称が並ぶ算命学ではありますが、その条件に該当する宿命だからといって現象の緩和や解消の方法がないわけではなく、むしろ鑑定者はその緩和・解消策を探すのが仕事だと言ってもいいくらいです。くどいようですが、宿命は陰占陽占共に自分自身だけで成り立つ風景ではなく、周囲の人間や環境との関係性を表すものであり、現実の人間関係ひとつ変えるだけでも宿命の星々の輝きは変化してくるのです。

上述の墓殺格を例に挙げるならば、仮に年干支が墓殺格に該当する宿命だった場合、年干は父親、年支は母親と捉え、この両親が健在のうちは墓殺格にがっちりはまるので当人は家を出た方が発運すると、一般論としては判断します。しかし順番からして親は子供より早く他界するものです。両親共に他界した後ともなれば、年干支の影響力は弱まりますから、この人は墓殺格としてはかなり軽微な該当者へと変わっていきます。
もちろん、常識的に考えれば両親が老衰して死去するまでにはそれなりの年月がかかり、両親が若くて健在ということは同時に子供がまだ若年ということですし、若年ということは人体図の初年期を通過中ということですし、初年期ということはつまり年干支の影響をもろに受けているということです。別に墓殺格に該当していなくとも、平均的な家庭に生まれたなら人生の初年期は誰でも両親の影響下にすごすものですし、親との関係性次第で仲が良かったり反発したりし、その結果成人後は親元に残ったり巣立ったりと道が分かれるのです。こうした意味で、格法に該当したからといって一喜一憂する必要はないし、家と縁がないからといって特別な不幸が約束されているわけではないのです。要は現状の人間関係や環境とどう上手く折り合っているか、後天運で巡ってくる好機の到来を活かせたか、つまり生き方・考え方がその時々の風向き、時代の趨勢に合っているかどうかが命運を分けるのです。

算命学余話第48回は、何となく12回ごとに鑑定志望者向けの理屈話が続いている流れに従って、時代の変遷について考察してみます。周知の通り、日本はここ半世紀ばかり平和が続き、平和ボケが社会問題を引き起こしつつあるほどですが、この平和はいつまでも続くのでしょうか。いまなお生きている戦時体験者の老人が子供の頃は戦争真っ盛りで、人の命は紙のように軽く使い捨てられていたような印象がありますが、こうした時代の人ほど命を惜しむ傾向が強く、逆に平和ボケで命も人権も過剰なほど守られている現代の若者の方が、ゲーム感覚で人生をリセットできるものと命や人生を軽く見る傾向があるように思われます。
戦時は人命すなわち寿が翻弄されたばかりに、戦後はその反動で相剋する官(名誉)と印(知性)が翻弄された時代だと考えられないでしょうか。そんな五徳のパワーバランスから歴史の流れを見ることはできないか、算命学の理論から切り込んでみます。宿命を鑑定する技術を紹介するものではありませんので、算命学の理論から推理できる大局的な話に興味のある方のみご購読下さい。

算命学の基本である六十花甲子は、日毎に日干支が変わっていき、60日で一周します。また月干支は月毎に変わって60カ月で、年干支は年毎に変わって60年で一周します。つまり年月日の3つとも同じ干支の並ぶ日というのは60年に一度しか巡って来ず、或いは60年経てば同じ干支の並びが繰り返されるということになります。このため同一の年月日が巡ることを還暦と呼び、日本では長寿のお祝いをしたりしますが、本来の意味は人がオギャアとこの世に生まれた瞬間からたゆまず時を刻んできた時代の気がひと巡りし、60年を過ぎた今、再び同じ気が巡り始めたということになります。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「還暦と時代の変遷」です。「算命学余話 #U48玄」で検索の上、登録&焼魚定食一食分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
# by hikada789 | 2014-05-30 15:27 | 算命学の仕組 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人