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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

b0214800_09134103.jpg尾瀬の燧ケ岳の開山日は7月一週目なので随分遅くまで雪が残っているのだなと思ったら、実際はもっと前から登れる程度に雪解けしているそうである。但し日当たりの悪い西側登山道(見晴起点)は乾いておらず、8月になっても泥道に変わりはないという。見晴に宿をとると距離的には燧ケ岳が圧倒的に近いのだが、こうした理由で宿の人間は、木道の長距離往復が面倒でも至仏山の方が快適だと勧める。快適な山道には人が大勢いる。人ごみを避けたい宇宙人は当然の如く燧ケ岳の悪路を選ぶ。天気は悪くないのだし、登山なんて半ば修行だろう。
確かに泥はやっかいではあったが天気には恵まれ、八合目を過ぎると岩場になって泥からは解放された。7月末は画像の通りシャクナゲの見頃で、山頂付近は満開であった。美しい。頂上からは尾瀬沼ほか周囲360度の山々が見渡せ、泥道を上がってきた甲斐があったと眺めを満喫する宇宙人。

さて下りは尾瀬沼方面へ二通りあり、どちらにしようかと考えながら昼飯を食っていたら、地元の人間とおぼしきおじさんたちが遠来の女子に下山路をアドバイスするのが聞こえてきた。「長英新道を下ろうかと思ってたんですが」「いや長英はつまらなくて長いだけだから、沼尻(尾瀬沼西端)に直下した方がいいよ。沼が見えて面白いし」「でもそっちは急坂だそうですが」「大したことないよ」「泥はどうでしょう。坂道で泥は危ないかも」「泥は長英も同じだよ。絶対風景は直下がいいよ」
b0214800_09142946.jpg宇宙人も長英を下るつもりだったが、俄かに気分が揺れる。しかし沼尻に下りると宿に近いため、尾瀬沼東端へ行く気がなくなるかもしれない。東端にはニッコウキスゲの群生地があり、且つビジターセンター周辺の電波状況が良好であることが分かっている。メールチェックはしたい。キスゲもまだ咲いているか知りたい。結局初心貫徹して長英を下る宇宙人。確かに単調でなだらかな道ではあるが、つまらないとは失礼な。時間をかけて森林浴ができるというものだ。おやじの価値観など当てにはならぬ。とはいえ人気のない道ではあり、登山客とはいくらもすれ違わない。静かな山が好きな宇宙人には願ったりだ。歩き瞑想ができるのだ。

歩き瞑想がてら、山の神と対話する宇宙人。何とはなしに話し掛けるのだが、人間と会話したいのではないし、実際はモノローグにすぎない。梅雨明け前の悪天候続きで、この日の午後も雨の予報であった。早朝から登って2時頃尾瀬沼まで下れればあとは平らな木道なので、この先なら雨になっても難儀はしない。実は午前の泥道から山に話しかけていた宇宙人、山からの返答によれば、山頂に着く頃の天気は晴れだが、宇宙人が日射にやられぬよう雲で影を作ってくれるという。随分好待遇ですね、とモノローグする宇宙人。果たして森林限界へ踏み込むと、晴れて見晴らしがいいのになぜか日陰を歩いている宇宙人。頭上には雲がひときれついて来ている。
b0214800_09153476.jpgそういうこともあるのかな、と下山する宇宙人。森林が戻り、予報通り空が暗くなる。登山道は樹木の傘で雨はしのげるが、ニッコウキスゲは雨なしで楽しみたいなー、とこぼす宇宙人。「ではそのようにしてあげよう」と山の神。画像はその通りの模様。見頃は一週間前だったが、ぎりぎり満開であった。

休憩所で一服していると、ほどなく雨が降り始める。もうここからは木道だけだし、平らだから傘をさせば濡れもしない。逆に雨で木道が適度に濡れた方が靴底にはり付いた泥を落とせる。午前の悪路で泥んこなので、これを洗い場でこそぎ落すのは面倒臭そう。そうだ、木道はずっと小雨くらいがいいな、とつぶやく宇宙人。「了解した」と山の神。えー、本当に小雨が続くよ。まじか。
b0214800_09161117.jpgぼちぼち顔色が変わり始める宇宙人。試しに無茶ぶりしてみる。「宿の洗い場は屋根がないんだよな。靴底の泥は大体落ちたけど、横にこびりついた泥は洗い場で落とすから、宿に着く直前くらいで雨が上がると助かるな」。「お安い御用」と山の神。雨の木道歩行二時間半のあと、森林の先に明るく拓けた宿群地帯が見え始めると、俄かに雨が止み、洗い場までの坂道の水がはけていく様は、まるでモーゼの十戒の海の拓ける如し。雨の上がったばかりの洗い場でちゃぷちゃぷと靴を洗う宇宙人。山の神はまだ近くにいる。というよりそれ以後数日我が身にはり付いていた。何のご縁のあった方かしら。身に覚えがありませんが。「……」無言でニヤつく山の神。以上尾瀬の思い出でした。

# by hikada789 | 2019-08-01 09:16 | その他 | Comments(0)
『算命学余話』を掲載しているForkNの無料表紙にイスラム模様に近い青系図柄があったので、思い出して7年前の拙著『メタフォーラ・ファンタジア』を掲載してみた。選択すれば縦書き仕様にできるというので試しにやってみたが、EPUB等で閲覧しないと縦書き仕様は見られないようだ。サイトでそのまま読む場合は、横書きのみである。やっぱり小説を横書きで読むってムリがあるよ。皆さん、環境が許すなら縦書きでお読み下さい。うう、入力途中で画面が揺れた。パソコンよ、もうしばらく持ちこたえてくれ。
# by hikada789 | 2019-07-30 09:41 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
b0214800_11542919.jpg宇宙人は避暑地から戻りました。8月は用事があるので出掛けず、通常営業に戻ります。ちょうど梅雨明けに当たってしまったな。避暑にならなかったような。なお8月後半に再度休業予定なので、運勢鑑定希望の方はお早めにお問合せ下さい。まあパソコンはまだ買い換えていないので、突然の技術的な休業もありえますが。
画像はNo.1211と同じ帝政ロシアの画家ビリービンによる昔話「白いガチョウ」の1シーンを拝借した大型トート。夏前に急いで完成させた。パソコンが入るサイズ。前胴以外はクラフトなし。ところでNo.1211の「イワン王子」、夏休み中にカーテンを引いた自室の本棚に立てかけておいただけなのに、早くも経年変化が進み、王子の肌が小麦色になっていた。白いガチョウの力作もこの調子だとさっさと色が濃くなっていくので、早めに撮影して掲載することにしたよ。

# by hikada789 | 2019-07-29 11:54 | その他 | Comments(0)
予告してある通り宇宙人は夏休みに入ります。暑くて死にかねない地球を離れて氷の惑星土星の裏側に避難するので、運勢鑑定に続いてブログと余話も暫くお休みします。復帰する頃にはパソコンも新調するので、快適なネット接続環境となっていることを期待したい。
宇宙人がいなくて寂しいという有難い閲覧者のために、宇宙人を偲べる音楽と図書を紹介しておきます。こないだシャレで紹介したBL漫画に興味を覚えて一気読みしたという友人がいた。がっつりBLなのに。どこで誰が読むか判らぬな。夏は長いので長時間楽しめるヘビー級図書を掲げるとしよう。

まず音楽は、ここ2年ばかりハマり続けているカプースチン先生の「ピアノソナタ1番」。19分ほどの四楽章構成だが、宇宙人は奮起して一番長い第四楽章(8分程度)に取り組んできた。毎日弾いているわけではないが、全譜面を拾うのに半年くらいかかったよ。「おちゃめで格好いい」楽曲です。壮大なのに所々笑えるジャズのリズムとクラシックのテクニックを堪能下さい。どういう笑いかというと、体操の内村航平が着地を決めた時に思わず飛び出す笑いに近い。まあ判らないでしょうからYouTubeででもお聴き下さい。カプースチン先生自ら弾いているのがいいと思います。第一楽章も実は笑えるのだが、耳が慣れないうちは聴き取れないと思う。超絶技巧です。勿論宇宙人はゆっくりしか弾けないが。
カプースチン先生は存命なので輸入楽譜は高かったが、これはもう二冊目で、一冊目の「演奏会のための8つのエチュード」は3番と8番を既に覚えた。こちらもおススメ。残りの6曲も素敵だが、宇宙人の技量では厳しいのでまだ手を付けていない。まあ派手な1番から聴いてみて。

もっと気楽な音楽としては、H ZETTRIOという三人組が奏でる「Dancing in the mood」や「晴天」を作業用BGMに使っている。このグループの音楽は、リオ五輪の閉会式で東京五輪紹介の際に使われたらしい。世間に疎い宇宙人は知らなかったが、ピアノ弾きの端くれであるのでこのピアニストの超絶技巧に反応し、思い切って楽譜を買って遊んでいる。カプースチン先生に比べれば簡単だが、スピードとパワーは必要。そうなのだ、カプースチン先生と取っ組み合っていると、他の曲がえらく簡単に弾けるようになるのだ。なにしろ先生はソ連時代のモスクワ音楽院卒だからねえ。

さて久々の現代ロシア作家の大型作品の登場です。先のブログでもちらっと触れたヴォドラスキン著『聖愚者ラヴル』。聖人伝というくくりですが、決して説教臭くはなく、「時間を越える」新たな手法が新鮮な、哲学的思考小説です。ロシア文学好きには「いかにもロシア文学」な正統派で、現地でも大きな文学賞をダブル受賞し、既に20か国語に翻訳されている。最後の数行が極めていますね。ロシア文学愛好家にはチュッチェフがすぐ思い浮かぶことでしょう。
大作なので、お時間のない方のために例によって抜書きを提示しておきます。でも何週間かかってもいいので読んでほしい。読みにくい文章ではないし、ロシア人の好む聖性や「ユロージヴイ」がよく判ります。聖愚者フォマーがカッコイイよ。千里眼だ。

――正義の人とは、人を侮辱することのない人ではなく、侮辱するかもしれないが、それを望まない人である。

――富は友をもたらさないが、友は富をもたらす。そこにいない友のことを、そこにいる友の前で思い出すがよい。さすればそれを聞いた友は、自分のことも忘れられないと知ろう。

――あんたの不幸は、あんたが最終的な結論に至ろうとしなかったことにある。何かを決めると更なる選択肢がなくなるのを恐れて、それがあんたの意志を麻痺させてしまうんだ。そんな風にしているうちに、あんたは人生に与えられた最良のものを取り逃がしてしまった。

――空間の移動(=旅)は、経験を豊かにしてくれる。それは時間を圧縮する。そしてその容量をもっと大きくする。

――この世で繰り返しはない。似たものがあるだけ。

# by hikada789 | 2019-07-01 17:47 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
前回の算命学余話#R101で激辛好きの人に対するいささか私的な苦言を呈したら、わが余話の読者にはおるまいと念を押したにも拘わらず、激辛好きの人から反論と思われるコメントが寄せられました。思われる、というのはそのコメントを私が読まなかったからです。ちらっと数行見ただけで低俗な主張であることが判ったし、既に何度も念を押している通り、激辛好きの人の意見に耳を傾ける価値はない、こちらが求めるような中身の詰まった話などこの人種には吐けない、という強い固定観念に囚われている私であるため、つまらぬ文章を読む時間の浪費を回避したかったからです。
そもそも余話でも言及している通り、算命学者の視点では、無暗に自己主張する人、頼まれてもいないのに意見を述べたがる人というのは、およそ賢くありません。なぜなら伝達本能を司る寿は、「水火の激突」により印とは相反するからです。印は知性。寿が正しく発動するためには、人体図タテ線の法則により、そこに印の裏付けがなければなりません。

無暗にとか、お呼びでないのにとか、ネットで匿名の嫌がらせでとか、気まぐれでとか無責任にとかいう冠をつけた状態で発せられる伝達行為は、独りよがりの自己主張にすぎず、印を含まないため根拠薄弱であり、それだけで愚かしさを露呈します。人はなぜ沈黙するのか? それは自分の意見が取るに足らないものである可能性を考慮して、そんな意見を他者に開陳することで自分の愚かしさを露呈するより、黙っていた方がマシだと思うからです。この沈黙の行為は既に思慮深さの表れです。沈黙は賢さの一部なのです。

最近読んでいるヴォドラスキン『聖愚者ラヴル』に、賢者の言葉としてこのような文言がありました。「大アルセーニーは、自ら発した言葉に対して後悔したことはあったが、沈黙したことを後悔したことは一度もなかった」。どうですか、このロシア聖人の文言が心に響いた方は、やっぱり激辛なんか食べませんよねえ。
こうした種類の、お呼びでない寿がしゃしゃり出てきたようなコメントはたまに寄せられますが、つまらないコメントにはつまらない返信しかできないため、返信はしておりませんし、掲載承認もしておりません。こうしたコメントを排除するためにいっそブログを「コメントを受け付けない」設定にしようかとも考えましたが、中には有難くも余話の記載ミス、しかも鑑定技術に関わるミスを指摘して下さる読者もいて(脱帽)、こういうコメントは是非とも寄せて頂きたいので、依然としてコメントは受け付ける状態にしております。
でもせっかくなので、私が好ましいと思うコメントの例を挙げておきます。とはいえ以下の例はいずれも見知らぬ読者からのコメントとして届いたものではなく、親しい友人との対話の中で聞かれた言葉であり、こういう文句をわがブログに文字として残しておきたいと思ったので、この機会に文字にすることにしました。

【例1】
 以前記事に、ロシア語文法が複数形を2~4と5以上で異なる格変化を要求するというテーマで、結局人間の脳が瞬間的に4までしか数えられず、5以上になると漠然と「多い」扱いになることが原因らしいという研究者の講話を掲載しました。そして猿の脳は実験により、人間より1つ少ない3までをひとくくりとし、4以上からは脳の別の部分を使って認識していることが判っているということも併記しました。
この件で友人は、勿論ロシア語など一語も知らない人ですが、すぐさま「朝三暮四は正しかったのだ」と反応しました。こういうコメントが寄せられたなら、文句なしで掲載承認させて頂きますのに。なに、朝三暮四が何だか判らない? だから激辛は辞めて青魚を食えというのです。

【例2】
イスラム圏の中で圧倒的文化力を誇るのはペルシャだという通説を経験則からも実感している私は、ある友人にこんな話をした。アラブやトルコが遊牧文化であるのに対してペルシャは農耕文化であり、都市文明を紀元前から永らく担ってきた。移動生活でないため腰を落ち着けて工芸や文芸を洗練させる環境にあり、イスラム化してからも神秘思想に傾倒しがちな国民性もあって(サファヴィー朝は特にそうだ)、その芸術活動には神のまします完璧な世界に近付きたいという明確な意志が込められている。それがペルシアン・ブルーのタイル建築や細密工芸等に現れるため、素人がぱっと見ても「おお!」と思わず感嘆する。
しかし隣国トルコはそのペルシャ芸術の後塵を拝して模倣したにすぎず、オスマン帝国時代に定住化したとはいえ、宮殿を彩る装飾はペルシャの亜流だ。富は絶大でもそこには装飾に込められた意志がなく、オリジナルをそれらしく真似たといった浅薄なものしか感じられない。少なくとも私の目にはそう移り、見ても驚きを感じない。
こうした意見に対し、友人は最近観に行ったトルコの宮廷宝飾品展覧会を思い出し、残念ながら余り感銘を受けなかったと洩らしました。そしてその原因が、今の話を聞いて腑に落ちたというのです。この友人は美術畑の人なので、私の方でも説得力を感じました。こういうコメントならいつでも掲載したいです。中身詰まってますよね。

さて今回の余話のテーマは、嘘についてです。昨今では、反社会勢力に与する営業を行ったとして世間の批判を浴びた一部の芸人らが、最初は金を受け取っていなかったと釈明したのに、その後受け取っていた事実が判明し、益々評判を落としたという報道が世間を賑わせています。初めから正直に言っていた方が傷口は浅くて済んだかもしれないのに、という意見が一般的です。嘘はつかない方が良かったという典型例です。
算命学は、嘘がいけないと明言してはいませんが、因果の法則と、殺傷の因縁が何代目までに清算されるかを明確に示していることからも判る通り、嘘はいずればれるもの・清算されるものと考えているようです。それも何代も待たずに、結構すぐです。すぐばれるから、敢えて技法や思想に取り上げなかったのかもしれません。従って、今回は技法とは関わりのない、算命学の一般論から見た嘘について考えてみます。

先に挙げた『聖愚者ラヴル』にはこんなフレーズもありました。「ピリッポス王がある男を裁判官に任じたが、その男が髪やひげを染料で染めていることが分かった時に、その任を解いて言った。髪に誠実でない者が、どうして人々や法廷に誠実でありえようか」。
一度でも人間は嘘をつくと、それが露呈した時に、それまでの何倍もの信用を失います。その痛手の大きさを知る人は、敢えて嘘をつくというリスクを冒さない。それが賢明というものです。大ボラを吹くことは簡単だし瞬間で済みますが、信用を積み上げるには忍耐が必要で、時間も掛かるものです。皆さん、トレンドに従って髪を染めていらっしゃる? どうもその行為は誠実ではない証となるようです。

(この続きは「ブクログのパブー」及び「フォークN」に公開しました。副題は「嘘を考える」です。「算命学余話 #R102」で検索の上、登録&桃ゼリー1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。なおパブーでの購読は2019年6月末で終了となります。7月以降はフォークNのみの販売を予定しておりますが、バックナンバーの再掲載には時間がかかると思われるので、お急ぎの方は終了前のパブーでお買い求め下さい。)

# by hikada789 | 2019-06-29 19:25 | 算命学の仕組 | Comments(0)